Gassan Toda Castle Ruins
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【ここがかつて中国地方の中心】だったのですね。 山中鹿之介公の屋敷跡を訪ね、手を合わせていると、近隣の住民の方が、出てこられました。お話をお伺いして「高梁の鹿之介公の最後の地にも、何度かお参りをしており・・・。」と話をしますと、ぐっと身を乗り出してこられました。以前長篠にて、鳥居強右衛門公の碑(明治天皇が寄贈)を訪ねた時も同様でしたが、やはり土地の方々には何百年も魂が受け継がれているのでしょうか。長男とされる山中幸元(鴻池新六)は鹿之介公の死後、摂津国川辺郡鴻池村(現・兵庫県伊丹市)で酒造業を始め、その後大坂に移住して江戸時代以降の豪商鴻池財閥の始祖(三和銀行・現在の三菱UFJ銀行にもつながる)となったこと。また尼子家も亀井 茲矩を通じて江戸時代に津和野城主となり、その後も子孫がおられるとのことですので、尼子家そして山中家の血筋は今も脈々と受け継がれているようです。周囲を車でも回りましたが、それにしても大きな遺構ですね。 【It used to be the center of Chugoku Region. 】 When I visited the site of Lord Shikanosuke Yamanaka's mansion and put my hands together, a nearby resident came out. When I asked him about the story, he leaned forward when I told him, "I have visited Takahashi's Shikanosuke's last place several times...". It was the same when I visited the monument of Suneemon Torii (donated by Emperor Meiji) in Nagashino. After the death of Shikanosuke, Yukimoto Yamanaka (Shinroku Konoike), who is considered to be the eldest son, started a sake brewing business in Konoike Village, Kawabe District, Settsu Province (currently Itami City, Hyogo Prefecture), and later moved to Osaka, where he became a wealthy merchant Konoike after the Edo period. Became the founder of the zaibatsu (Sanwa Bank, which is also connected to the current Mitsubishi UFJ Bank). In addition, the Amago family became the lord of Tsuwano Castle through Korenori Kamei in the Edo period, and there are descendants after that, so it seems that the bloodline of the Amago family and the Yamanaka family is still inherited. I went around by car, but even so, it is a big relic.
Hisashi MachidaHisashi Machida
70
(castles visited 50+) Wow. This one was amazing! Parking was easy and straight forward to find. A map that made sense. The "100 castle stamp" was easy to find. This is a super unique castle. The san, ni, and hon maru are squeezed along the top of a very skinny mountain peak. Expect a hike. About 1.5km each way I think from the parking lot. Half of it is steep.
This is my Real NameThis is my Real Name
10
Fun hike and amazing views! Beyond the raised platforms not much remains of the old mountain fortress. But the hike is not too difficult and is well paved. Easy access from the museum at the bottom and you can take the return bus to Yasugi station right out front.
Michael SuzukiMichael Suzuki
10
戦国大名として山陰を席巻するも、新興の毛利氏に敗れ滅亡した、尼子氏が本拠とした山城です。城を中心にした領域支配を重視した伝統的な中世城郭でありながら、当時の最先端技術も導入して城の護りを強化しています。 飯梨川を天然の堀として敵の侵入を阻みつつ、連なる曲輪が敵を迎え撃ちます。城の中枢部に至るには七曲と呼ばれる隘路を進む他なく、その先には堅固な石垣が待ち構えています。 小細工はなし、城そのものが巨大な縦深陣であり、力で押してきた敵を力で押し返すための城です。まさに難攻不落、大軍をもって執拗に城を攻め立てた大内義隆が損耗の末に敗れ、家運を傾かせたのもうなずけます。唯一この城の攻略に成功した毛利元就が、無理押しを避けて兵糧攻めに徹したのは理にかなっています。曲輪の状態は良好に保たれていて、木々もほとよく伐採されています。見晴らしも最高です。 関ケ原の後、隠岐・出雲二国の主となった堀尾忠氏は、はじめ月山富田城に入城したものの、領国の統治に適した松江に新たな城を築き、月山富田城は廃城となります。以後は松江の発展を遠くから眺めるばかりとなりましたが、その結果乱開発をまぬがれ、往時の勇姿をいまにとどめています。 公共交通機関でのアクセスはそこそこです。最寄駅はJR荒島駅ですが、となりのJR安来駅は特急停車駅で、タクシーを利用するにも便利です。いずれの駅からも近くまで行くバスが運行されています。あと、日本庭園で有名な足立美術館は歩いて三〇分ほどです。安来駅と足立美術館の間には無料のシャトルバスが運行されているので、足立美術館にも足を運ぶならそちらを利用するのもアリですです。
七面鳥放浪記七面鳥放浪記
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歴史資料館に訪問した際にすでに16時頃になっていたので館内の職員の方からお城の山頂に向かって途中まで車で行けることを教えていただき、山中御殿近くの無料の駐車場まで向かうことにしました。駐車場に向かう道路の入り口は歴史資料館建物の裏側すぐの場所にあります。道幅は1車線程度しかありませんが、待機場所はあるので大丈夫かと思いますが、交通量が多いタイミングに出くわすと移動に苦労すると思いました。わたしの時は平日の遅い時間でしたので対向車とすれ違うことはありませんでした。このようにアクセス路は決して道幅は広くありませんが駐車場内のスペースは10台程度は止めれそうな広さは確保されています。駐車場からは数分歩けば山中御殿、七曲がりの坂の登り口に到着できました。時間もなかったので駐車場の利用は大正解でした。登り口から20分程度かけて七曲がりを登り、三の丸、二の丸を経て、本丸に到着。お城の石垣は表面は赤みがかっていて、個人的には他のお城の石垣では見たことがない景色で珍しいとおもいました。本丸跡を更に奥へ行くと勝日高守神社があり、社殿のそばに先を見通せる開運撮影スポットの樹木がたっています。地元の方の説明では樹木は穴が空くほどのダメージを受けながらもしっかりと成長しているとのことで、神社の名前の「勝」の字と空いた穴から見通せることにかけて縁起が良く、穴を通して撮影できる開運スポットとして紹介しているとのことでした。この日は10月開催予定のお祭りの準備をされていました。地元愛の伝わるお城でもありました。
山口裕一山口裕一
50
山陰の雄、尼子氏が本拠地を置いた山城跡です。 天守の類はなく、石垣や土塁が残っているだけですが、遠くからクルマで近づいていくにつれ、素人目にも「あの山、何か違うな」と思わせる、攻めずらく守りやすい名城跡です。 菅谷口、御子守口、塩谷口からの登城口は山中御殿で合流し、守り手はここを守るだけで三方向からを防ぎ、攻め手は3手に軍勢を分けねばならず、分けない場合は攻め手がいないところから下へ出撃できるようになっています。 山中御殿まで落とされても、三の丸~天守までの道のりは、険しい1本道で、普通に歩いて上るだけでも大変。ましてや戦いながらとなると本当に大変。 GoogleMapの3Dでみても、自然の地形を巧みに利用した屈指のお城のようです。 この城は永禄9年1566年に、毛利元就が兵糧攻めにて攻め落とし、尼子氏は毛利家中の意向に従うことになりましたが、元就、吉川元春、小早川隆景の3人をもってしても力攻めで落とすことは叶いませんでした。 経久が奪い返した月山富田城は、80年以上も尼子氏の本拠として出雲の国に君臨しましたが、堀尾氏が治める世になってから、間もなく廃城となり、出雲の国は今は国宝になった松江城が主役となって、その役目を終えたとのことでした。 戦国時代、経久公や元就公らも見たであろう景色が、本丸から中海まで広がって見渡せます。 500年以上変わらない景色なのだなと、感慨深くみて帰ってきました。
xyznoirxyznoir
10
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Yasugi City History Museum

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3.8
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そば うどん処 尼子

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3.7
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