金峯神社(きんぷじんじゃ)。奈良県吉野郡吉野町。
式内社(名神大)、旧社格は郷社。 吉野山最奥の青根ヶ峰のそばにあり、吉野山の地主神を祭る。
主祭神:金山毘古命(かなやまひこのみこと)。 吉野山の地主神である。
資料によると、 創建の経緯などは不明である。中世以降は修験道の修行場 であり、『栄花物語』には藤原道長が詣でたことが記されている。
明治時代以前の神仏習合時代には「金精明神(こんしょうみょうじん)」と呼ばれ、本地仏は阿閦如来、釈迦如来、大日如来(金剛界)とされていた。金精の名は金峯山は黄金を蔵する山という信仰があったことが背景にあると思われる。 金銅藤原道長経筒 1口:1952年(昭和27年)11月22日、国宝(考古資料)に指定。金峯山経塚出土品のひとつで、表面に刻された銘文中に「寛弘四年(1007年)八月十一日」の年記がある。
拝殿 - 吉野神宮の旧拝殿を移築したもの。 義経隠れ塔 -...
Read more吉野山は修験道の一大拠点であるため、かつては仏教と神道の境目が曖昧な施設が多くありました。 ここ金峯神社も明治以前は金精明神と呼ばれ、祭神の金山毘古命の本地仏として阿閦如来、釈迦如来、大日如来が主に崇拝されていました。 こうした神仏混合の信仰は、神道を国家の宗教政策の中心に置こうとする明治政府との折り合いが非常に悪く、吉野山は神仏分離令を根拠に強い圧力を政府から受けることになります。 その結果、金精明神は金峯神社と改称し、本地仏を廃されて完全に神社化しました。 更に現在の金峯山寺蔵王堂を口宮、金峯神社を本社、現在の大峯山寺蔵王堂を奥宮として、明治7年になってついに吉野山全山が神社化してしまいした。 しかし、あまりに過激な神社優遇政策は強い反発を受けたので、明治19年に両蔵王堂は金峯山寺と大峯山寺として別々の修験道の寺院として再興しますが、金峯神社だけは旧態に戻ることなく現在に至ります。 神仏分離令とそれに伴う廃仏毀釈によって、金峯神社のみならず吉野山の信仰形態とその環境は激変しましたが、近代以前のかつての姿を想像しながら参拝する...
Read more2月の寒い日に車で行きました。途中の道が細くて心配でしたが、転落するような道ではなく、しっかり舗装されたバスも通る道なので安心でした。季節外れのためか対向車にはほとんど出会いませんでした。車は奥千本のバス停から100mほど下ったコーナーに5台くらい置ける場所がありましたので、そこに駐車しました。後で知ったことですが、義経の隠れ塔の下まで行くと広い駐車場があるので、そこに停めて金峯神社に上がっていく方法もあります。正面の鳥居をくぐり、長い上り坂をゼーゼー言いながら登りました。ここもコンクリート舗装がしてあるので足元は大丈夫です。ただし、お年寄りにはきついだらだら坂です。 神社自体は山岳地帯に造営されていますので、そんなに境内は広くありません。ただし、ここまで参拝に上がってくる人はそれなりの人ばかりなので神聖な雰囲気は保たれています。ぜひ、冬の金峯神社をお尋ねください。なお、冬はこの付近にトイレはありま...
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