鳥海山龍頭寺といい真言宗智山派のお寺で御本尊は薬師如来坐像になります。 伝承によると大同二年(807年)に慈照上人により松岳山観音寺光岩院として開基されたという。 また一説には貞観二年(860年)に慈覚大師円仁が鳥海山に巣くう赤鬼青鬼を退治し蕨岡に堂宇を設けたのが始まりとされ、鳥海山を龍に見立ててこの地が龍の頭にあたる事から龍頭寺と称するようになったと伝わります。 蕨岡の坊名の記録上の初出時期は慶長十六年(1611年)の「鳥海山御神領検地帳」で三十三坊の名称と持分が記録され組織が整っていたことが分かります、また慶長十七年(1612年)付けの最上義光公による蕨岡への「鳥海寄進状」が残っており政治権力とも深く絡んでいたことも分かります。 明暦元年(1655年)松岳観音寺光岩院から鳥海山龍頭寺と寺名を改称し新義真言宗のお寺から真言宗智山派のお寺へと転派しました、それまでの寺の御本尊であった十一面観世音菩薩像は観音堂を建立してお祀りしています、御簾の奥に身丈三・六メートルの松の一木造り御本尊と、脇侍の不動明王像(右側)と毘沙門天像(左側)をお祀りしています。 龍頭寺の中世以前の史料は失われているのでこの頃の時期の修験道としての活動は不詳です、近世初期には吹浦と同様に羽黒修験との関係を維持していました。 蕨岡は鳥海山の修験道の最大の拠点で龍頭寺は三十三坊からなる修験の一山寺院(衆徒)の頂上に立つ学頭寺であった。 蕨岡は慶応四年(1868年)に神仏判然令や明治初期の神仏分離に関わる政令、明治五年(1872年)の修験道廃止令を受けて近隣のお寺は「龍頭寺」をのぞいて衆徒は神道に改宗して現在に至っています、その際に古文書や刀剣をはじめ由緒ある品物は隣の大物忌神社に移されています。 龍頭寺は明治の神仏分離以後も復飾(戒律を守ること)せずに仏教寺院として留まり現在に至っています。 本堂正面向拝の下に涎掛けをつけ褪色している仁王像が一対安置されています、インド地方風の造りをした仁王像で隣の大物忌神社の随神門より移...
Read more《庄内三十三観音 平成30年》 龍頭寺は庄内三十三観音十九番札所 御本尊は《十一面観世音菩薩》です 境内は御開帳ののぼり旗がいっぱい 今回もお参りさせていただきました 御朱印は寺でご住職より頂きました
《出羽十三仏 平成29年》 真言宗智山派 鳥海山...
Read more上蕨岡地区は鳥海山から見ると龍の姿に見えるとされ、頭の部分に位置するのが龍頭寺である。 鳥海修験三十三坊の学頭であり、明治の神仏分離により、大物忌神社と龍頭寺に別れ現在に至っている。本堂には、本尊の薬師如来(鳥海山大権現本地で山頂に祀られていた薬師様)、境内には現在の神社の随神門(仁王門)に祀られていた仁王様が本堂前に安置。観音堂には、立木の十一面観音菩薩が御前立ちの観音様の後ろに祀られております...
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