鳥海山大物忌神社(ちょうかいさんおおものいみじんじゃ)蕨岡口之宮。山形県飽海郡遊佐町上蕨岡松ヶ岡。
式内社(名神大)、出羽国一宮。旧国幣中社。 鳥海山頂の本社と、麓の吹浦(ふくら)と蕨岡の2か所の口之宮(里宮)の総称として大物忌神社と称する。 出羽富士、鳥海富士とも呼ばれる鳥海山を神体山とする。 鳥海山の山岳信仰の中心を担ってきている。
主祭神: ・大物忌大神 - 記紀には登場しない神で、謎が多い。『神祗志料』や『大日本国一宮記』では、大物忌大神と倉稲魂命が同一視されている。
鳥海山は、古代には国家の守護神として、また古代末期からは出羽国における山岳信仰の中心として現在の山形県庄内地方や秋田県由利郡および横手盆地の諸地域など周辺一帯の崇敬を集め、特に近世以降は農耕神として信仰されてきた。
資料によると、 景行天皇または欽明天皇時代の創祀と伝えられるが、創建時期には諸説があり、山頂社殿が噴火焼失と再建を繰り返しているための勧請も絡んでいて、時期の特定は困難である。鳥海山の登山口は、主要なものだけで矢島、小滝、吹浦、蕨岡の4ヶ所があり、各登山口ごとに異なる伝承が伝わるうえに、登山口ごとに信徒が一定の勢力を構成して、互いに反目競争することも多かったため、それらの伝承が歪められることも多く、定説をみない状況である。
鳥海山の南西麓、蕨岡に鎮座し、当社は、蕨岡口之宮と称されている。 鳥海山の西麓、吹浦にも、吹浦口之宮が鎮座しており、本殿は、鳥海山上(2236m)にある。
蕨岡の伝承:吹浦とは別の縁起が伝わる蕨岡の「鳥海山記并序」(宝永6年、1709年)では、役行者が開山したとする前提で、行者がはじめて山に登ったとき、「鳥の海」をみたことから「鳥海山」と名づけられたとしている。なお、社の創建のとき、山に名称はなく、現在の「鳥海山」という山名ができた由来には諸説あり、山上にあって霊鳥が生息すると言い伝えられる「鳥の海」によるとする説が有力である。 蕨岡に伝わる他の縁起では、「鳥海山縁起和讃」(嘉永5年、1852年)に、天武天皇のとき、山の神の命により、役行者が山中に出没する鬼を退治し、開山したと記されている。この縁起は、吹浦に伝わる慈覚大師(円仁)の創建とする説よりも年代を古い説を唱え、対抗しようという意図がみられるとされる。 関連して、蕨岡の東之院興源は「出羽國一宮鳥海山略縁起」(安政4年、1857年)の中で、役行者が山中に神の眷属である三十六王子を祀り山の守護神としたという記載があり、実際に、蕨岡では山道に三十六王子を祀っていたという。 ニギハヤヒが天鳥船に乗り、上空から眺めて、トリミヤマと名付け、それが転訛し、鳥海(とりみ)山となりチョウカイザンと呼ぶ様になった。
山岳信仰:越国より始められた夷征は、慶雲から和銅の頃に庄内以北の着手に至ったが、当時この地方は原生林に覆われ、また南方を追われた蝦夷が群居し、常に噴煙を吐き時々大爆発する鳥海山の存在は朝廷軍にとって脅威であった。そのような状況で、もともと日本では山岳信仰が盛んだった背景もあって、朝廷は鳥海山の爆発が夷乱と相関していると疑ったのではないか、と『名勝鳥海山』では推測している。 前述の『日本三代実録』貞観13年(871年)5月16日の条にある出羽国司からの報告には、鳥海山の噴火について、「出羽の名神に祈祷したが後の報祭を怠り、また墓の骸骨が山水を汚しているため怒りを発して山が焼け、この様な災異が起こったのだ」等の記述があり、鳥海山噴火が兵乱の前兆であると信じられていたことを覗わせている、と『名勝鳥海山』では述べている。 当初、「鳥海山」という山名は無く、山そのものが大物忌神と称されていた。物忌とは斎戒にして不吉不浄を忌むことであり、山の爆発は山神が夷乱凶変を忌み嫌って予め発生させるものだと朝廷は考えたことが、この山神を大物忌神と称した所以であると『名勝鳥海山』では考察している。また同書では、山神の怒りを鎮め、その力を借りて夷乱凶変を未然に防ごうとした一例として、『日本紀略』天慶2年(939年)4月17日の条にある秋田夷乱(天慶の乱)発生の報が到達した際、朝廷で物忌が行われたことを挙げている。なお『本朝世紀』天慶2年(939年)4月19日の条には、大物忌明神の山が噴火したとの記述がある。
神仏習合:六国史によれば斉衡3年(856年)から貞観12年(870年)の間に出羽国では定額寺が6ヶ所指定され、また『日本三代実録』仁和元年(885年)11月21日の条では飽海郡に神宮寺があったと記していることから、出羽における神仏習合はこの時期に始まったと『名勝鳥海山』では推測している。また同書によれば、大物忌神へ奉仕する職制は神仏習合以来変化し、唯一神道を以って奉仕する社家、神宮寺の仏式を以って奉仕する社僧に別れたが、その後の仏教隆盛に従い社家は段々と衰退して行き、中世には本地垂迹説により鳥海山大権現と称して社僧が奉仕をしていたのだと言う。...
Read more閑散とした寒村にありながらかつての勢力を偲ばせる豪勢な造り、観光地化されてこそいないものの、手入れも行き届いた非常に神聖な空気漂う場所。現在では吹浦口の社務所がまとめて管理しているのだけれど、いくつかある麓宮の中で幕末まで最も権勢を誇ったのがこちらの蕨岡である。その証拠にこの村をよくよくご覧になればご理解頂けることだろう。羽黒山周辺同様に一本梁の鳥居を構えた社家と宿坊だらけである。
現代において吹浦口が正統であるかの如く大きな顔をしているのは、永きに渡る麓宮同士の権力闘争を有利に進める為だけに、明治維新の神仏分離令に対して逸早く神仏習合の伝統を棄てることで明治政府のお墨付きを獲得したからでしかない。
国重要無形民俗文化財「杉沢比山」で有名な杉沢村熊野神社はかつて鳥海修験の行者の宿坊として鎌倉時代より栄えており、比山が本来は全て行者によって担われていた舞であることからもその信仰の勢いは伺い知れることだろう。 但し補足すると、このような伝統の番楽自体は鳥海山周辺にいくつかあり、吹浦側では女鹿や滝ノ浦にもあったようだ。然し後継者不足で伝統が途絶え、番楽の面がアマハゲに使用されているとのこと。
これはあくまで個人的な体感でしかないのだけれど、蕨岡と吹浦で本当に同じ大物忌大神をお祀りしているのか、もしくは普段いらっしゃる御眷属が別の神様なのではないか、と思えるほどにあちらとこちらでは空気感が全く別物である。
私自身、仕事柄日本中多くの社寺を見てきた方だとは思うけれど、その中でもここの存在感は圧倒的だ。京都の渡来系あをによしカラーが好みか東国の質実剛健な木目が好みかの違いはあるにしても、正直ここはその中でも指折りの質実剛健な荘厳さ、人知れず埋もれていくのを指をくわえて見...
Read more吹浦口之宮からバスで約40分 誰もいないと、聞いていたのですが、境内の草、木の手入れをされている方がいらっしゃいました。 拝殿で参拝していると、古い歴史のある建物なのに、かすかな檜の木の香りを感じました。 末社も参拝させて、いただきました。山頂に向かって、長い階段があります。 手入れされている人に聞くと、昔は上にあり、鳥海山が綺麗に見えて、見晴らしが良かったと、言われていました。 今は、木の手入れをしていないので、全く見えない。 視界が悪いそうです。 木の鳥居に、丸く立てに穴が何ヶ所か、空いているので、キツツキ ですか?と訊ねると、その通りです。吹浦口之宮は、参拝者が多いですが、蕨岡口之宮は、少ないタメ、生き物とっては、邪魔されないので、天国だと思います。 一の鳥居を過ぎると、左に雅楽殿があります。 五月の大祭の時は、奉納されるそうです。素敵な舞台です。 11月12日は、新嘗祭です。 秋の新米や、農産物を奉納し五穀豊穣を祝します。 この日は、参拝者が多いと思います。2日後に新嘗祭なので、手入れされていたのかも...
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