伊勢久留麻神社(いせくるまじんじゃ)。兵庫県淡路市久留麻。
式内社(小)、淡路国三之宮。旧郷社。
主祭神:大日孁貴尊(おおひるめむちのみこと、天照大御神) <相殿>漢織姫尊(あやはとりひめのみこと)
資料によると、 創祀年代は不詳。 社伝によると敏達天皇の御代に伊勢国奄藝郡久留眞神社を勧請したという。
往古「久留麻」は、来馬とも書かれたが、呉織の意味とも考えられている。
境内の案内には、延喜式の3番目に記載されているという理由で、 当社は、淡路三の宮であるとしているが、延喜式の記述順は、実は2番目。 淡路津名郡の2番目だが、淡路には津名郡と三原郡があり、 津名郡の大社・伊弉諾神宮と三原郡の大社・大和大國魂神社は別格で、当社は、その次なのだと主張しているのだろう。
祭神は、大日孁貴尊。 別名、来馬大明神。あるいは、伊勢明神。 一説には、祭神は大己貴命。あるいは若比留女尊などの異説もある。
社前の案内や境内の石碑には、 太陽の道、緯度34度32分に関する紹介がある。 大和箸墓古墳を中心に、東西に二つの伊勢が存在し、34度32分の緯線上に日神信仰の聖地が並んでいるというもの。 この線上には二上山や三輪山なども含まれているようだ。 詳細は知らないが、なぜ伊勢神宮ではなく、斎宮を取り上げるのだろう。 とあります。
参考として、 御由緒についての考察すると、久留真神社は現在三重県鈴鹿市白子に鎮座されているが、その御祭神は大巳貴尊(おおなむちのみこと)、相殿に須世理姫尊(すせりびめのみこと:大巳貴尊の妻)と漢織姫尊となっている。 久留真神社社伝によれば、第二十一代雄略天皇の御代(西暦458~479年の間か)に呉の国(中国)から来日し、勅命に従って伊勢国に紡績や衣縫(きぬぬい)の技術を伝えた漢織姫とその一族の多大な功績を讃えるべく神様として相殿に合祀したとの事である。
この事から、淡路島の現在の東浦の地に伊勢国から紡績・衣縫技術が伝えられた際に、漢織姫尊が紡績・衣縫の神様として分祀され大日孁貴尊の相殿に鎮座されると共に、「伊勢の久留真神社の御祭神をお遷しした」事を表すべく「伊勢久留麻神社」という名称になったものと推察される。 この点を踏まえると、「伊勢久留麻神社」と名付けられる前、大日孁貴尊が一柱のみで鎮座されていた神社自体はそれよりかなり前から存在していたと考えるのが自然である。
大日孁貴尊は天照大神の別称である事から、伊勢久留麻神社となる以前には、太陽神である天照大神をお祀りする場所、もしくは太陽信仰の斎場といった位置付けの場所であった可能...
Read more伊勢久留麻神社。延喜式内社(小社)。淡路国三ノ宮(旧津名郡次席)。 久留麻(来馬)大明神。伊勢大神宮。久留麻(来馬)の明神さん。
創建は1430年程前、第30代敏達天皇の御世に伊勢国菴芸郡久留真庄の伊勢森(三重県鈴鹿市白子)鎮座の 久留真神社(雄略天皇の御世の創建。大己貴命。配祀に后神の須勢理媛命。漢織姫命(アヤハトリ。伝、呉国より招聘された姉妹の機織姫の姉)) を勧請し創建。
史書(日本書記他)や地勢他からつらつら愚考拝察するには、 かねてより大流行して猛威を震っていた天然痘に 敏達天皇14年春(585)に天皇が罹患発症なさり俄に海内蒼然。 太古より西方より飛来すると(信仰)される行疫神/疱瘡神(天然痘)の防塞並びに鎮圧と玉体護持、当病平癒。天下泰平を企図して 遠来よりの(当時の訳語田幸玉宮の真西に当たる)当地への勧請創建と拝察するところです。
又、明石の岩屋神社(伊弉諾尊)を起点としたこの南北線には数多の寺社が並び あたかも古代畿内の西結界を形成している様相。 鎮座地域は(現今の地図には現れませんが)引野。 太陽の運行を基にした測量術、日置...
Read more「淡路市:伊勢久留麻神社...
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