【当社】は、神社とも見なされるが、いや個人的に思っているが、崇拝の対象と言うよりは、平将門の史跡巡りの対象と考える方がふさわしい。何より稲荷神社と言えば狐の置物があるものだが、無いのがその理由である。 これも、平将門のなせる業だろうか?。やはり将門は、父良将の相続に伴い身内同士の領地争いに端を発し、中枢の意向を曲解して農民を搾取する地方官に反発して民衆に味方し、信望が高まり、地方豪族の争い事に巻き込まれて国庁まで攻め込むことになり、朝廷の追討を受けるこことなり、当地にて流れ矢に頭部を突かれて亡くなることとなった。 【源平】と言うと、合戦を連想するが、信濃守の「源頼信(ミナモトノヨリノブ)」が追討使に任命になると平忠常(タイラノタダツネ)の乱を戦わずに鎮定した後に、平将門の霊をともらうために板碑を建立した。 源氏の武将が平氏に対して敬意を形にすることで、平氏や藤原秀郷流から主従関係を結び、源氏の東国における基盤を構築することとなった。これが源頼義・義家父子を経て、源頼朝による鎌倉幕府の樹立に結実することになる。 【発見】その後に荒地となっていた板碑を昭和50年8月29日に発見して、傷みが酷かったのか、昭和51年2月14日の命日に復刻されたようだ。この際には雨引山楽法寺山王権大僧正川田聖定謹号と裏面に刻まれている。建立者として中山氏二名が刻まれている。(川田聖定でインターネット検索すると、元真言宗豊山派管長・元総本山長谷寺化主で茨城県出身との結果が出た。真言宗豊山派と言えば胴塚のある神田山延命院も同宗である) この板碑の右手に平将門公之鎮魂碑が建ち、裏面には板碑建立の経緯とともに、将門公終焉地について辺田北山説の提唱者石山氏と計画して当碑を建立した旨が刻まれ、建立者として板碑建立者と同じ中山氏が彫られている。 【所在地】は、茨城県坂東市辺田1402-1(〒306-0632)である。 【史跡】としては、近くには平守明が紫宸殿前の桜を株分けし彼のゆかりの地に植えたと言われる「九重の桜」、彼の胴塚がある「神田山延命院」などもある。 少し離れれば彼の三女如蔵尼が彼の木造座像を御祭神とする「國王神社」、将門の軍事拠点である「島広山石井営所」、彼が喉を渇かした際に老翁がこの水を提供したとされる「石井の井戸」、その老翁を祀る「一言神社」及び当史跡の鬼門守護であり國王神社の別当寺である「延命寺」が平将門関係の史跡である。 【江川】が当史跡の東側を南流しているが、これは逆井城跡の南を水源とし、南部で東側の飯沼川と平行して菅生沼に流れ込み、沼からは飯沼川として流出して利根川に合流する。 平将門が当地に立った頃はまだ利根川が徳川幕府の東遷事業が行われず、また大規模な新田開発が行われていなかったことから河幅が広かったものと推測する。石井の井戸など水源からも流れ込んで、稲作の貴重な水源となっていたのではないだろうか。 【回顧】当社の地点で江川から小河川が西に入っているので、この小河川の北にある「島広山石井営所」が平貞盛・藤原秀郷の討伐軍の急襲を受けて、将門が営所に駆け付けて、ここで戦いとなったのではないだろうか?。 2月14日と言えば、立春を過ぎて移動性低気圧の寒冷前線が通過して、通過前には暖かい南風が吹いて将門に味方したが、通過後は冷たい北西風が将門勢に向い風となり相手側の弓矢の飛行距離が延びることで彼の額を射貫いた。 【創建】は、未確認である。 【御祭神】は、未確認である。通常は稲荷神社の場合には「宇迦之御魂命(ウカノミタマノミコト)」である。 【御朱印】は、未確認である。 【接道】は、県道結城坂東(20号)線の「岩井第二小入口」信号機を小学校の反対側の東に進み、コンビニのファミリーマートの裏で左折すると、突き当たりが当社となる。 【駐車場】は、神社前の通路が広いので、交通に支障がないように配慮して路肩に駐車するのが現実的である。 また、コンビニ等に停めて休憩を兼ねるとともに、必要最小限の範囲内で参拝を済ませるのも便法である。 【トイレ】は、神社には未整備なので、来るまでにコンビニ等で用を済ませ...
Read moreGooglemapだとトヨタのお店から行ける様な感じだが、行けません! お隣のはま寿司さん横のファミマとヤマダデンキの間の路地を入って行くと参道入口の道に繋がります。 保存会の方や有志に支えられているようで、山林を整えていて有り、努力を感じました。 鳥居をくぐり林に囲まれた神域に入ると明らかにちょっと肌寒さと言うか、ピリッとする感じを受けました。これは、大手町ビル街区の首塚ほどで無いにしろ似た感じを受けました。確かに何らかの関係性を感じる場所かなと根拠なき感覚を受けました。伝説の地はかなり残されている多くも関連はあるかも知れませんが、強烈なパワーは首塚、神田明神、こちらに感じましたが、国王神社はそれ程と言う感じ。 もう少しアピールしても良いかと思う場所であり、御霊分けでもして正式にお祀りし社殿を立派にしたら人気スポットになるかも知れないです。まだまだマイナーな場所だが大切にお祀りされるべき場所に感じる。 ただし、冷やかしで行くべきでは無い場所。鎮魂の気持ちと無念さを思う気持ちを持ってお参りすれば、受け...
Read morekyokoさんの3年前の投稿写真が参考になりますが、それまでは竹が密生して藪漕ぎが激しく宮(祠)までたどり着けなかった状況だったとのことですが、近所にお住まいの男性(70代)が地主さんの許可を得て、お一人!で立木や密生した竹を刈って現在の参道をつくりました。 なので、それまで熱心な方がたどり着けなかった奥まった所の祠やその後ろの板碑発見場所まで容易に歩いて行けるようになったという経緯があります。その男性によればネットなどで「地域の方々が」交代で清掃しているという情報は事実と違い、この男性お一人で日頃、竹藪の伐採、清掃をされています。 帰りにその70代男性が撮影した近くの施設庭にある平将門...
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