2018年10月28日(日)巡礼2日目pm13:45に訪れました。秩父33番札所。
事前に読んだ本の写真にみた菊水寺の孝行の絵に衝撃を受けました。乳は赤ん坊が飲むものというのが当然のことながら、歯の無くなっただろう老母に乳を与えるそのさまは親孝行として極まることで本堂に掲げられたそれをまじまじと眺め自分に問答。
秩父札所をかなりの急ぎ足ながら二日間車を走らせれば、冬時の札所が午後4時に閉まる時期で無ければ34所一番札所から順打ちで巡ることが出来ることを理解。(不馴れな土地勘にカーナビと札所でいただける地図が必須)
全走行距離100kmを歩きで巡っている姿を車を走らせる途中にしばしば見かける。タクシーで札所にたどり着く方や、鉄道の駅から歩く方、バス利用、様々に様々な巡礼がある
観音霊場巡礼が33で終わるに従うなら33番の菊水寺を今回の巡礼の締め括りとすることを決めていたのでここで〆(11月入りして板東33所、12月入り前後して巡りはじめ来春から梅桜の季節に関西33所を巡り、平成終わりの日に板東33番札所を打ち移動して秩父34番札所で100観音巡礼を遂げて平成の世に感謝し、さらに長野の善光寺へ移動、平成の終わりと新元号を善光寺でと計画)
ふらっと思い立ち寺坂棚田の彼岸花を観に初めて訪れた秩父で一番札所の看板を国道に観て四萬部寺に立ち寄り古刹の印象と本堂に祀れた本尊の印象深さに巡礼をすることとなる 彼岸花の起こした...
Read more秩父三十四観音霊場三十三番札所 平坦な場所だから車を降りてからも楽に移動できる👍本堂に入り外陣手前が土間😆一風変わった造りだか此の様な経験もまぁ~有りかな😃下陣左の上がり端には写経が納められてある😁近年みるお寺には納経そのものが無いので、本来の寺の名残が見て取れる😊御朱印とは写経したものをお寺の観音様に奉納(納経)することで、その証しに頂ける功徳の有るものなのです😄だからこそ御朱印帳の右上には「奉納」の文字と「札所三十三番」の印が、そしてご本尊様の聖観世音の揮号とご宝印が有るのです😉何よりもご宝印は本尊聖観音様の分身であり観音様そのものと謂うことですから😄観音様を篤く信仰し観音様のお経(摩可般若波羅蜜多心経)を写経してご本尊様に納めて加護を頂けるのですね😁昨今の御朱印帳には「奉納」ではなく「奉拝」なのは此の様な訳がありますね😊ご拝読まことに有り難うございます😍令和三年三月十四日 合掌🙏🙇
追伸 御朱印を代行者が七冊位書いて貰っていました😨御朱印を集めたい気持ちわかりますが~👊😭佛様との御縁は自分で掴んで欲しいですね😤佛様との縁結びのなかで貴方に素晴らしき何かを分け与えてくださることが、最も尊いかと存じます😌😊�...
Read more直書きの御朱印いただきました。
奈良時代、行基によって開山された。かつて近くの八人峠には8人の盗賊が住み着き、追い剥ぎをしていた。そこに、とある僧侶(行基)が通りかかった。盗賊たちは身ぐるみ剥がそうとしたが、僧侶の法力で金縛りにかけられ、そして七転八倒の苦しみを味わった。盗賊たちは、遂にこの僧侶に詫びを入れる羽目となった。僧侶は、「このまま悪行を続けるならば確実に地獄に落ちる。地獄の苦しみは今回の苦しみどころではない。」と彼らの非を説き、近くの「菊水」という霊泉の場所を教え、自ら彫った観音菩薩像を与えて立ち去った。以降、彼らは改心し、観音像を草庵に納め、真っ当な生涯を送ったという。これが「菊水寺」の起源である。
1569年(永禄12年)、武田氏と後北条氏の戦いにより全焼した。そのため、別当だった近くの「長福庵」という草庵に観音像を移した。1592年(文禄元年)、長山賢道によって「長福庵」から「長福寺」という寺に整備...
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