金照山清水寺大智院といい真言宗智山派のお寺になります。 御本尊は聖観世音菩薩になり御前立に馬頭観世音菩薩を安置する名刹になります。 聖徳太子の開基と伝わるお寺で文明二年(1470年)に寺内興隆をはかり、次いで明応七年(1498年)紹長和尚の代に大野宮前城主 の佐治伊賀守為永公の祈願所となりました。 当初は山号を「楊柳山」と号していましたが天正年間(1573年~1592年)の戦乱にも兵火にかかることを免れたことから元禄五年(1692年)に山号を「金照山」と改め現在に至っています。 「身代大師像」は弘法大師空海が知多巡錫の際に大智院にて ❮我を帰依する者一切の罪を消滅し諸の有情を安楽しらしめ 業病難病を解脱す福力常具足し殻麦財宝悉く皆の意の如く徳せしめ悪業煩悩の心を開眼せしむべし❯と自らの尊像を残された像になります。 この像には盲目の老翁が一心にすがり眼が治ったと伝わり大師に自分の眼鏡を残したことから眼鏡を掛けていて「眼鏡...
Read more金照山清水寺大智院は、聖徳太子の開基で、本尊「聖観世音菩薩」、前立「馬頭観世音菩薩」を安置する名刹です。 文明二年、寺内の興隆をはかり、次いで明応七年紹長和尚の時に、大野・宮前城主の佐治伊賀守為永公の祈願所となりました。 当初は「楊柳山」と号していましたが、天正年間の戦乱にも兵火のかかることを免れたことから、元禄五年に「金照山」と改め 現在に至っています。 「身代大師」とは、弘法大師が知多巡錫のとき、大智院にて、「我を帰依する者、一切の罪を消滅し、諸の有情を安楽しらしめ、 業病難病を解脱す、福力常具足し、穀麦財宝ことごとく皆の意の如く得せしめ、悪業煩悩の心を開眼せしむべし」と 自らの尊像を残されたもの。 安政年間、盲目の老翁が身代大師に一心におすがりしたところ目が見えるようになり、大師に自分の眼鏡を残したことから...
Read more護国弘法大師安置の縁由と其の功徳 護国弘法大師様は当山第二十回世実融大和尚の不思議なる御霊夢の感得にあらわれ給う御姿であります大師虚空蔵菩薩の味に住して国家をお守り遊さす御影であります。比の護国 弘法大師様は右の御手には宝剣をとり、左の手には宝珠を持ち給う比の世に始めての尊像です。宝剣は外敵を防き(七難即滅) 宝珠は福徳を与えて下さる(七福即生)即ち世界の平和を守り、人類の幸福をすえて下さる御誓願であります。 皆々様一心に帰命して南無大師遍照金剛護国 弘法大師様ととなえて礼拝すれば(左へ三返まわる時は)必ずし七難消滅して、七福の御利益がいただけます。...
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