11月29日の15時過ぎに参拝 ✎鳥居の右側に駐車場があります
近所の方でしょうか 若いお母さんと3歳くらいの女の子が境内のブランコで遊んでいる以外は人影はありませんでした…
秋晴れの午後の優しい陽射しの中、一礼してから鳥居をくぐり 正中を避け少しだけ左側に寄り、落ち葉と真っ赤な紅葉をゆっくり見ながら参道を歩きました~
途中でモミジの葉っぱを拾い秋を満喫!
青い空に真っ赤な紅葉が映え綺麗でした♪
迎えてくれた狛狐さんは結構凛々しい顔立ちでしたね~
並んで二礼二拍手一礼しコロナ終息を祈願してきました(^-^)ニコ
参拝後、幼稚園裏にある宮司宅に御朱印をいただきに行きましたが、残念ながら留守でした…
次回は奥宮の東本庄稲荷神社も参拝し 年内中にもう一度足を運びたいと思います♪
✑ 若泉稲荷神社メモ 祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
倉稲魂命の神格 五穀豊穣の神、諸産業繁盛の神、農耕神、穀霊神、商工業神
倉稲魂命の御利益 五穀豊穣、商売繁盛、産業興隆、芸能上達、家内安全
埼玉県児玉郡市の神社によると 若泉稲荷神社の始まりは治承4年(1180年) 東本庄の地に「荘太郎家長」が館を構え勧請とあるので飛び地にある奥宮の東本庄稲荷神社が先に創建されたと分かる。 現在の社地に稲荷神社が勧請されたのは天正18年(1590年)の事で 明治に入り当時の埼玉県令「千家尊福公」により若泉稲荷神社と名付けられたとされる。 明治42年に東本庄稲荷神社を合社したが祟りと判明し大正15年に還座している。 奥宮橋はその時の名残だという。 現在に至るまで様々な霊験があるらしい…
境内はに天神神社、八坂神社、手長神社、秋葉神社、御岳山神社、護国神社が祀られている。 また、飛び地に奥宮の東本庄稲荷神社あり。
埼玉県児玉郡市の神社掲載 12.若泉稲荷神社 本庄市北堀209 奥宮 東本庄稲荷神社 本庄市北堀41
13.飯玉神社 本庄市北堀1602 14.稲荷神社 本庄市新井2 15.金鑚神社 本庄市今井1124-1 16.角折神社 本庄市都島235 51.稲荷神社 上里町八町河原2266
上記の御朱印を幼稚園裏にある宮司宅で取り扱...
Read more若泉稲荷神社(わかいずみいなりじんじゃ) 御祭神 倉稲魂命二柱 境内諸社 天神様 八坂様 手長様 秋葉様 御岳様 護国神社 飛び地境内地に奥宮東本庄稲荷神社あり
由緒 飛び地境内地の東本庄稲荷神社は治承四年(1180)の創建です。 武蔵守継行六世孫荘太郎家長が東本庄に館を構えた際、鎮守として勧請されました。 荘太郎家長は、一ノ谷の合戦(1184)で源氏に従い、平武蔵守知章を討ち取り、敗走した生田森の副将軍三位中将平重衡を、須磨ノ浦海岸で梶原景季(又はその父景時)と共に生捕った武将です。
天正十八年(1590)に、本庄氏に代わって小笠原掃部太夫信嶺が本庄城主になった時に、旧領主が勧請した社であるとの理由からこの神社を最も崇敬し、現在の社地に社殿を建立して奉遷しました。 小笠原掃部太夫信嶺が、姫の病気を祈祷で治した現宮司家の隠居所料として東本庄の分霊を勧請したのが始まりです。 明治にいたり、村社としてその庄名を冠して当時の埼玉県令千家尊福卿より若泉稲荷神社と名付けられました。
明治四十二年(1909)に東本庄稲荷神社を県の指導により合祀しましたが、その後村内に火事が頻発するなどの出来事が絶えず、宮司の夢枕に東本庄稲荷大神がお立ちになるに及んで祟りと判明、大正十五年(1926)に元の所に奥宮として還座して火事はおさまりました。 昭和三十年代(1955)初頭、台風により大木が全部倒れ、周囲の民家には一切被害がなく、拝殿だけ潰したのも霊験といわれています。 (「境内案内板」「埼玉の神社」及び「Wik」参照)
本殿胴羽目には、ダイナミックな構図でありながら、登場人物や脇障子の稲荷狐さんまでとても表情豊かに彫り込まれた彫刻が施されています。 すぐ隣の「若泉幼稚園」の園児たちに、園庭の柵越しに「なにしてるの~?」と声を掛けられ、手を振りながら「写真撮ってるの~♪」と応えましたが、子どもたちが将来、地域の神社や日本の神さまに興味をもって、自分たちの地域に暮らしてきた先人達や、日本の歴史に誇りを持ってくれたらいいなと思います...
Read more旧村社。 御祭神:倉稲魂命(うがのみたま) 創建:平安時代相当。
ここから南東にある、東本庄稲荷神社が奥宮です。本庄氏、小笠原氏由縁。
御由緒書きによると、 若泉稲荷神社の歴史は治承四年(1180年)、武蔵守継行六世孫荘太郎家長が東本庄に館を構えた際、鎮守として勧請したことに始まる。天正十八年(1590年)に本荘氏に代わって小笠原掃部太夫信嶺が本庄城主になった時に、旧領主が勧請した社であるとの理由からこの神社を最も崇敬し、現在の社地に社殿を建立して奉遷した。とあります。
社殿は若泉稲荷神社古墳の墳頂に鎮座していて、稲荷神社の朱色が渋さを感じさせ、本殿の彫刻も古社としての厳かさを持っていました。
尚、若泉稲荷神社古墳は小山川と女堀川に挟まれた微高地、西五十子古墳群に属する古墳で、規模は径38×21m、高さ2.5mほどです。
追記:他の資料によると、東本庄に館を構えたのは本庄信明(児玉党本宗家末裔、室町時代)で、東本庄館初代館主であり、館の守護神として稲荷神社を勧請している。とあり、そして、庄家長は児玉党本宗家5代目で平安時代末期から鎌倉時代初期の武将で、栗崎館2代館主であることから、東本庄の地に東本庄館を築いたのは本庄信明である。とあります。 (尚、本庄氏の系譜(特に時家から信明まで)鎌倉時代中期から室町時代中期は、庄氏の菩提寺が14世紀中頃(1337年)の合戦により焼失した事もあって、はっきりとしないのが現状だそうです。)
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