当社は旧御坊町及び日高郡美浜町浜之瀬を氏子区域にもつ神社である。 由緒については古文献の現存するものが無く、勧請の時代及び次第は詳らかではないが、『日本書紀』に所載の神功皇后並びに応神天皇由緒の地小竹宮に由来する神社である。 沿革について、伝承によると、往古は大社の一つで、一の鳥居は北塩屋矢熊ヶ鼻(御坊市)という所にあり、相当の社頭もあり、壮麗な社殿が存していたが、天正の兵火にかかり古文献、宝物等を焼失したとある。 『神社明細帳』の記載によると「(略)勧請年月日不詳然れども告國史所載する小竹宮の旧跡にして昔時薗の内紀小竹という所に鎮座ありしを延宝年間今の地に鎮座し、旧地を元宮或いは元八幡という(略)」とある。 現在の場所は、もとより藩侯徳川頼宣の御別邸地、薗御殿であったのを延宝6(1678)年下げ渡しとなり、同年御遷宮、神殿の向きは神占により...
Read moreそんなに大きな神社と言うわけではないが、和歌山に縁の有る神功皇后と関係のある神社。
後の応神天皇が産まれた事により。それを快く思わなかった異母兄弟の、香坂王(かごさかのみこ)と忍熊王(おしくまのみこ)が皇位を巡り、神功皇后に反乱を起こした。 臣下と協議の末討伐をすることにし、小竹の宮に移動した時、昼間なのにあたりが真っ暗になった。紀伊国造の祖先豊耳に尋ねると、小竹祝(シノホフリ)と天野祝(アマノホフリ)という仲の良い二人の神官が居たが、小竹祝が病死し、天野祝が悲しみ後を追うように小竹祝の亡骸の側で亡くなった。一緒に葬った事が原因では?ということで、墓を開けて棺に納めなおし、別々に葬ると太陽の輝きが戻った。
小竹祝は小竹八幡神社、天野祝は丹生都比売神社の神官だったと言われているとか。 境内には武...
Read more小竹八幡は、記録に残る日本最古のボーイズラブに関わる神社です。 神功皇后がこの辺りに来られたとき、世の中が真っ暗になり、何日も闇が続きました。 古老に聞くと、小竹神社の祝(はふり・身分の低い神職)と天野神社の祝を一緒に埋葬したのが原因だろうと言うのです。 二人の祝はとても仲良しで、小竹祝が死ぬと、天野祝は「小竹祝のいない世界にいたくない」と自死したのだそうです。 そこで二人の墓をあばき、別々に埋葬したところ、光が戻りました。 なぜ二人の祝を一緒に埋葬してはいけないのか、理由が書かれてませんし、同性愛が忌まれたわけじゃなさそうですが、この事件は「...
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