『飽富神社』 住所→〒299-0256...
Read more倉稲魂命を主祭神、大己貴命・小彦名命を配祀神とする神社で、社伝によると第2代・綏靖(すいぜい)天皇(BC632~BC549年)の御代、弥生時代の綏靖天皇元(BC581)年4月に兄・神八井耳命が創建したとされ、現社殿は江戸時代の元禄4(1691)年に再建された権現造り、同時代の文化年間(1804~1818年)に改修されています。当社は、平安時代初期に編纂された歴史書『日本三代実録』(858~887年)や、平安時代中期の延長5(927)年に編纂された律令の施行細則を記した法典『延喜式』の神明帳に上総国の式内社(朝廷から官社として認識されていた神社)として登載されており、境内北東に建立される東照宮は、武将/旗本・天野雄得(光得/佐左衛門/1575~1630年)が江戸時代の元和8(1622)年4月に久能山東照宮(駿河国)から勧請して創建、同時代の元治元(1864)年に再建され、両社殿が『飽富神社及び東照宮』として袖ケ浦市の有形文化財(構造物)に指定、また、毎年1月14日深夜から翌15日未明にかけて、当社氏子達が米・麦・粟・稗等9種類の農作物の豊凶を占う年中行事が厳かに執り行われ、『飽富神社の筒粥』として千葉県の無形民俗文化財に指定されます。末社として境内に75社が鎮座、本殿に東之方御末社20社と西之方御末社13社、本殿後に東之方御末社5社と西之方御末社5社、亥之方(北北西)御末社9社、南方御末社3社、寅之方(東北東)御末社4社、卯之方(東)御末社2社、北方御末社10社、丑之方(北北東)御末社2社、申之方(西南西)御末社2社の計75社75座が神域内に斎き祀られ、明治維新後の近代社格制度において県社に列格された飯富地区の氏神です。西側に未整...
Read more飽富神社(あきとみじんじゃ)。千葉県袖ケ浦市飯富。
式内社(小)、旧県社。
主祭神:倉稻魂命
【関係氏族】飫富氏
資料によると、 この神社は、平安時代初期に編集された「三代実録」という史書や、「延喜式」という法令集の中にすでにその名が記されている式内社で千年以上も前から存在した古社です。 旧称を飫富(おおとみ)神社といい、県内では香取神宮・安房神社など十八社ありますが、君津地方では唯一のもので、歴史的価値の高い神社です。 創建は、社伝によると第二代綏靖天皇元年(BC34)で、天皇の兄「神八井耳命」が創建したと伝えています。祭神の主神は「倉稲魂命」という稲の神、すなわち農業神で、古くから農民の信仰を集めてきました。
古代この地区は海であったがその後、土地の隆起や小櫃川の土砂が堆積したりして、この入海は次第に潟となり、芦荻の茂る沼沢地となつていつた。そこへ、古墳時代の終り頃、有力なる首長(飫富氏)を中心とする集団が来つて定住し、この広大なる沼沢地を開墾し、生産力の大きな農地を造出したものと...
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