『 八 劍 神 社 御 由 緒 [御祭神] 日本武尊(紀) 倭健命(記)
八劔神社は、本城を本社として付近周辺合わせて十数社をかぞへる。
当神社の御由緒については、 「筑前続風土記拾遺筑陽記筑前草鑑記太宰管内誌」にでたり。
伝へられる次の二説がある
一、「第十二代景行天皇の御代、(七一年~一三◯年)日本武尊が熊襲征伐の折り、この地に立ち寄られた。又、神功皇后も、この地で神祇を奉り武運の長久を祈られた。かかる霊地として、第六十四代円融天皇の貞元、元年丙子(九七六年三月)に、祠を建て日本武尊を奉斎した。」
一、「三河守範頼が、この地に本城を築いた折り、平家追討の戦い安らかなるを祈願するため、下河辺庄司、渋谷庄司、の両名に命じて、尾張(名古屋)熱田神宮より劔大神を勧請して奏祀した。」
【今に至っては、いずれを創祀とするか明らかではないが、ただ、この地に貝塚や多くの古墳が発見されていることから、既に、古代より人々の集落が形成され、又 我が国の神社信仰の形態が皇室の祖先神人格神を祭神として奉祀し五穀豊穣鎮護国家を祈願してきたことからすれば、この地も古い時代から至極当然のことであったと考えられる。そして、その祠は、源範頼がこの地に本城を築城した際に、御神殿を御造営し、御祭神を勧請したと見るべきであろう。】 即ち、八劔神社の創祀は、貞元元年(九七六年)であったと考えられるが、それより以前に古代の人々が劔大神を祭っていたのではないかと思われる。 {なぜならば、御鎮座一◯◯◯年祭が明治三六年(一九◯三年)二月七日に執行されているからである。(境内に記念碑あり。)}
昔の社地は、今の社地より西北一◯町ばかりにあり、永禄元年(一五五八年)野火にあい、今処に移す。又...
Read more神社の目の前は車通りの多い道路ですが、敷地内は自然豊かで、とても空気が澄んでいるように感じます。 決して大きな神社ではありませんが、歴史を感じる居心地の良い神社です。
コロナ対策なのか、手水場の柄杓や鈴緒はありません。 手水場はチョロチョロと水が出てますので、手を清める事は可能です。
少し階段が急で、階段が少し凸凹しているので、足元に不安のある方は気を付けて下さい。
社務所は9時から16時45分まで開いているそうです。 社務所に誰も居ない場合の為にインターホンも設置してありました。 御朱印やお守り、土鈴を授かる事が出来ます。 御朱印は月替わりのものと、シンプルなものと2パターンありました。 御朱印代はお気持ちだそうで、私は500円納めさせて頂きました。
御朱印の対応をして頂いた男性の方から帰り際に、移り変わりの激しい天気で、まだ暑い日が続くみたいなのでお体に気を付けて下さいと声を掛けて頂きました。 とても親切に、丁寧に対応して頂けて心から感謝しております。 近い内にまた参拝...
Read more北九州市八幡西区の国道199号線沿いにある八剱神社。
ご祭神はヤマトタケル(日本武尊)とされてるそうですが、創始の起源が不明だそうです。 ただ、古い時代から祖先神格信仰から神社として信仰されてきたものかと思います。
一の鳥居をくぐり、二の鳥居へと続く参道途中に、大きなクスノキがありますが、石柱を巻き込むようにして立っている姿は初見でも二度見するくらい不思議な楠です。
二の鳥居から真っすぐ石段を上がっていくと拝殿がありますが、この境内でも不思議で、参道の真正面に謎の大きな社っぽいものがありますが、参道が右手に切られた先に八剱神社拝殿が鎮座しています。
謎のお社は何なのか不明なままですが、八剱神社の拝殿~本殿は別にありますので、こちらを参拝する方で正解だと思います。
境内には阿吽狛犬がにらみを利かせていますが、境内入口には立ち姿・逆立ち姿の狛犬もおり、これも1つの楽しみとして見て取れます。
御朱印は社務所不在だったため、今回は見送りになりました。 機会があれば改め...
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