栃木県芳賀郡益子町に鎮座する亀岡八幡宮、2024.3に参拝致しました、どの様な神社か引用を用いて調べて見ました、主祭神は譽田別命、配神は息長足姫命・玉依姫神、境内社は皇大神宮・伊門神社・藤森稲荷神社・古峯神社・招魂社、例祭は9月15日、境内地は8160坪。平安時代後期に奥州で俘囚長の安倍氏が朝廷に対して反抗的な態度をとった為、討伐軍が派遣されました(俘囚や蝦夷側から見ると朝廷軍は侵略者)。その中の武将の一人源義家が当地の館まで進軍してきた際、源氏の氏神である石清水八幡宮(京都府八幡市八幡高坊)の分霊を勧請し戦勝祈願をしたところ霊亀が出現し吉兆の前兆と思われる不思議な体験をしました。 結果、見事念願成就し安倍氏との闘いに勝利を収める事が出来ると義家は神意に感謝し、凱旋で当地を再び訪れた際に社殿を造営し、康平7年(1064)には勅命により亀岡八幡宮の号を賜り、芳賀・塩谷両郡の惣社、後冷泉天皇の勅願所として広大な社領が寄進されました。文治5年(1189)に奥州藤原氏の征伐である奥州合戦の際には当地まで進軍した源頼朝がやはり戦勝祈願を行い、奥州平定を完遂した事から建久3年(1192)に社殿の改築を行い、建久8年(1197)に現在地に遷座しています。 亀岡八幡宮は歴代領主から崇敬庇護され社運を隆盛しましたが、文禄4年(1595)に宇都宮城(栃木県宇都宮市)の城主蒲生飛騨守に社領を取り上げられ一時衰微しましたが(蒲生秀行が宇都宮城の城主になったのは慶長3年:1598年なので由緒の年号は間違ってる可能性があります)、慶長5年(1600)に会津鶴ヶ城(福島県会津若松市)の上杉景勝討伐で、小山(栃木県小山市)まで進軍してきた徳川家康から社領の寄進が行われました。江戸時代には徳川将軍家から庇護され、慶安2年(1649)に3代将軍徳川家光から朱印地14石、除地7石が認められています。幕末の戊辰戦争の際には新政府軍の戦勝祈願が行われ、神仏分離令を経て郷社に列しています。現在の亀岡八幡宮本殿は明治14年(1881)に造営されたもので三間社神明造、銅板葺き、外壁は真壁造り素木板張り、拝殿は入母屋、銅板葺き、平入、桁行6間、梁間4間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り素木板張り。境内は創建時に霊亀が出現した事に因み、数多くの亀の石像が奉納されてます、歴史的建造物、仏閣、仏像、城、神社巡り、パワースポット、絶景、紅葉、景色撮影、癒し処、栃木県宇都宮、益子町観光、温泉、三十三観音巡礼、諸願成就祈願、御朱印集め等...
Read more「亀岡八幡宮? 亀だし八だし、名前からして縁起良さそう。しかも、ご利益は戦勝祈願。宝くじに勝つのに (当てるのに) 、是非行かなくては‼️」という事で訪れました。😀
参道 は山道、階段なので、登るのが厳しい方は神社の目の前の駐車場へ車で。
が、その参道の途中に一番のパワースポットが有るんですよね~。なので、神社の目の前の駐車場へ車を入れた場合でも、そこまでは階段を下る事をお勧めします。😀
参道途中に有るのは、「神亀吉向亀」という亀の石像です。この亀を撫でるとより願いが叶うそうです。自分は参道から登ったのですが亀を撫でるのを忘れ、下る時にい~っぱい撫でてあげました。(笑)
そしてビックリしたのは、神社敷地内の「亀の石像」の多さ❕❕ 流石、「亀岡」。🤗
鳥居前、手水舎、参拝の左右、拝殿前等、あっちにもこっちにも。(笑) 大きいの、小さいの、イケメン、可愛いの、怖いの等た~くさん。お気に入りの亀さんを見つけてください。🤗 「亀は金運アップのご利益もあるはず。」と、見つけた範囲内の亀さんは全て撮影してきました。😀
拝殿は、歴史を感じられる素敵な拝殿だと思います。🤗 宝くじ高額当選、金運アップの祈願をさせて頂きました。 「家族の為にも1日も早く宝くじ高額当選出来ます様、どうかお力をお貸しください。よろしくお願い致します。」m(_ _)m
拝殿左手の社務所 (授与所?) で御朱印を頂けます。直に書き入れて頂きたかったのですが、自分が訪れた時間は書き置きのみの対応でした。ちょっと残念でしたが、500円を箱に入れ通常の御朱印を頂きました。 お守りも頂きたかったのですが、社務所が閉まっていたので断念となりました。🥴
が、た~くさんの「亀の石像」を見られただけでも満足❕❕ かなり金運アップしてるはずですよね?...
Read more鶴岡八幡宮なら知っていますが亀岡八幡宮とは!しかし、鶴は千年亀は万年と云いますから、当社は鶴岡八幡宮の十倍すごいトコかも、いやそうに決まってると参拝に来ました。 御祭神は誉田別命・息長足姫命・玉依姫命。康平年間(1058-65)源義家が奥州へ向かう途中、当地で霊廟を拝したところ芦檀沼に霊亀出現し瑞を示した。義家は大いに喜び奥賊安倍貞任を討滅す。凱旋後、古家郷字鴿峯に神殿を建立、康平7(1064)年勅令により亀岡八幡宮と称した。建久3(1192)年、源頼朝が奥州藤原氏の討伐に際して古事にならい武運を祈願し、建久8(1197)年に現在地に遷宮した。鎌倉室町時代を通じ武門の守護神として幕府や宇都宮氏から崇敬庇護を受けた。戊辰戦争の最には官軍が百日百夜の戦勝祈願を行ったと云う。明治元年郷社列格。 国道294号線北側の一の鳥居から300m強の燈籠立ち並ぶ長い参道や驚くほどに多数の亀の石像の数々・・・八幡神の神使は鳩ですし、拝殿前にはちゃんと狛犬が二対います。亀像は殆どがごく近年(平成以降)の奉納らしいですね。 さて、当社は著名社でありますので、境内の御様子など今更くどくどと付け加えることもありますまい。他の優れた皆さんのクチコミに...
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