この寺の住職であった森諦圓氏は旧制三豊中学を卒業後、京都の種智院大学を卒業、説教師となり軍の慰問をしたりして、その後門跡寺真言宗御室派仁和寺では初めての民間人出身の管主となリました。先祖は宗良親王と同時に讃岐の地に配流されおり先祖の神社は高瀬町比地の森神社です。覚城院は細川頼之の臣下であった浪越家が5000石の禄を賜り支配した仁尾城があったところで後、細川土佐守に城主が変わり旧暦天正7年(1580)3月3日、新暦同年3月29日午後11時半に長宗我部元親により落城しました。このこと記憶するため地元では今なお、ひな祭りをしません。旧仁尾村初代村長は浪越家の分家の方が就いています。浪越本家にある記録及び菩提寺の近年の調査によって判明しています。仁尾町片山の本家跡に古い数基の五輪塔が残されています。この地だと落城するところがよく見えたのは時間の記載があ...
Read more弘仁十年(819年)弘法大師空海により七宝山の麓南草木という所に創建されたと伝えられる。当初は菩提心院と呼ばれていた。応永年間(1394年~1427年)には弘法大師の再来と言われる増吽僧正によって再建されています。天正七年(1579年)土佐の長曽我部元親軍の讃岐進行の兵火により焼失したが再建された。 宝永年間(1704年~1711年)には三等上人が仁尾城の跡地、現在地に移転して覚城院と改めた。そして現在に至る 大寧山 不動護国寺 覚城院 真言宗御室派別格本山 讃岐三十三観音霊場第十九番札所 弘仁十年(819年)創建 開基 弘法大師空海 本尊 千手観世音菩薩 真言 おん ばざら たらま きりく そわか 文化財 鐘楼 国指定重要文化財 木造毘沙門天像 香川県指定有形文化財 木造千手観世音立...
Read more頂上の⛩️鳥居が天守閣跡
現代の細川家本家当主は、元細川総理大臣であり
讃岐・細川家は、分家にあたる家柄
当時は、京都に細川家・本家当主が居り
その指示を受けて動いていたが
長曽我部元親が四国統一に乗り出す頃には、連絡を遮断されて
四国の細川家は、個々に判断をとった
🌠🌠🌠🌠🌠細川氏(ほそかわし)は、
本姓は源氏、鎌倉時代から江戸時代にかけて栄えた武家。
清和源氏の名門足利氏の分家。
名字は鎌倉時代に三河国額田郡細川郷
(現在の愛知県岡崎市細川町周辺)に土着したことに由来する
仁尾城主で讃岐国主でもある
細川頼弘(ほそかわ・よりひろ)が長曽我...
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