武田氏初代当主 武田信義公の墓所のある寺
武田信義(1128年9月11日~1186年3月31日)
※平安時代末期から鎌倉時代初期の武将。源清光の次男。逸見光長は双子の兄になる。甲斐源氏4代当主。武田氏初代当主。新羅三郎義光の曾孫。...
Read more韮崎市役所にある武田義信立像を見学し、信義の墓のある願成寺へ来た。釜無川を武田橋で渡って直ぐである。駐車場も広く問題ない。駐車場の脇から境内へ登っていく階段の両脇には秩父三十四観音石像がある。秩父出身なのでどうも気になる。余談だが秩父に住んでいた時は全く興味がなかったが、各地の史跡を訪ねると意外と目にするので驚きである。 願成寺は広々とした境内で静寂で清楚な寺であった。「願いが成る寺」なんて名前が好い。朝早く来たのでお地蔵さんに立派な花を手向ける地元の人もいた。私は本堂でお参りをし、早速左手奥にある信義の墓へ行った。広々とした墓域は奇麗に清掃されていて心が洗われる気がした。三つの五輪塔が並んでいるが真ん中の大きいのが信義のものとのこと。左が夫人のもの、右が乳母姫(十三代当主武田信昌の息女で当山に隠棲)とのことである。この五輪塔の手前の右手に供養の鐘があった。「心を込めて優しく三回突いて下さい」と書いてあったので、優しく突いた。鐘の音は朝の静寂の中で思ったよりと大きく鋭く響き渡り、私の心は慌てて乱れてしまった。 願成寺には、その他武田家家臣招魂の碑や武田氏累代御霊殿などがある。
因みに、境内の案内看板に武田氏系図(抄)が書かれていた。信義に漢数字の“一”が付けられていた。甲斐武田氏初代の意味なのだろう。信義の墓前の案内看板にも甲斐武田氏は信義がここ武田の地を治めたことに始まると書かれている。また、「武田信義之墓」石碑側面には「武田信義ハ黒源太清光ノ長子ナリ武田ノ庄ニ館シ始メテ武田氏ヲ称ス」とある。(長子?には疑義が残るが・・・) 私は甲斐源氏、甲斐武田氏の祖を訪ねる旅をしていたが、甲斐源氏の祖は、数えでは新羅三郎義光と云われているが、実際の祖は、甲斐の市河荘(発祥地)へ配流され、後に逸見荘へ移り勢力を甲斐国へ扶植していった(数え二代)義清[武田冠者、逸見冠者])でいいと思う。一方、甲斐武田氏の祖は、武田冠者を名乗った義清が気になるが、この系図の通り信義と考えるのが妥当だという結論にこの旅を通...
Read more山梨県韮崎市「願成寺」
宗派:曹洞宗 山号:鳳凰山 本尊:阿弥陀如来 創建:771年(宝亀2年) 開基:武田信義 札所:甲斐百八霊場 第77番霊場 住所:山梨県韮崎市神山町鍋山1111
こちらの寺院は武田信玄の十五代前となる 武田氏開祖「武田信義」の菩提寺になります。
実際に墓所も拝見させて頂きました。綺麗 に整備されております。真ん中に信義公の 供養塔が左に夫人、右に乳母姫の物が。
文化財としては本尊の阿弥陀如来と脇侍の 観音菩薩・勢至菩薩が国の重文です。2つ の阿弥陀三尊があるらしく平安時代に作ら れた旧本尊が国の重文で拝観は予約可能。
現本尊の阿弥陀三尊は鎌倉時代の作で秘仏 で市の指定文化財との事。
境内に安置されている「釈尊苦行像」のイン ...
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