有名な西宮戎より格式が上の神社。 日本書紀に創建の事が書かれているみたいです。
実際に参拝してみたら分かりますが、かなり雰囲気が良いです。 何か神々しさを感じるというか。
是非とも実際に雰囲気を体験していただきたいです。
余談ですが、阪神タイガースが毎年ご祈祷してもらっています
【詳細情報 写真の看板参照】 廣田神社の御由緒
(御祭神 御本殿) 天照坐皇大御神の荒御魂 伊勢の神宮に坐す天照坐皇大御神の勇猛果敢で活動的進取的な霊験灼たかな御魂
(御脇殿) 住吉三前大神、八幡三所大神 諏訪建御名方大神、高皇産霊大神
(御創祀) 神功皇后摂政元年(西暦201年)、国難打破の道を示し、八幡大神の御懐妊を告げ、安産を守護し、軍船を導き、建国初の海外遠征に勝利を授けた、廣田大御神のおつげにより、御凱旋の帰途、御心・廣田の国に国土安泰・外難の守護として御創祀されたことが、我が国最古の国史書『日本書紀』に記されています
(御沿革) 大同元年(806)封戸四十一戸、貞観十年(868)従一位昇叙、 延喜年間(901~923)官幣名神大社・相嘗祈雨の奉幣に列し、 全国神社に冠たる二十二社に先立ち正暦二年(991)十九社の一社に加えられ、 朝廷より恒例・臨時の奉幣橋枚挙たることが古記録に残り、
明治四年(1871)の社格復興の折には県内で唯一官幣大社に列格しました(明治十八年には淡路・伊弉諾神宮が官幣大社に昇格)
明治七年には境内地を分割譲与し末社の戎宮総本社・西宮神社を独立させています
「伊勢大神宮御同体」の兵庫県下第一の御社格御由緒の大社として広く崇敬を集め、中世には「西宮参拝」と称して国家の神事を司った神祇官の歴代長官や公家・五山の僧侶たち度々に互って参詣し、物語や和歌・今様・漢詩に多々その痕跡を残しています
武家の崇敬も篤く、源頼朝は平氏討伐を祈願し淡路・廣田の庄を寄進、豊臣秀頼は末社・戎社(現西宮神社)と共に大規模な改築を行い、徳川吉宗は現今の地に遷宮しました
御社殿は、伊勢神宮戦後初の式年遷宮に当たり荒祭宮旧社殿の譲与を受け、昭和三ー~三八年(1956~63)に神明造にて造営がなされました
(御神徳) 国民の総親神である天照皇大神は、八百万神々の中でも最高を至貴なる、生活の基の衣食住を整えられた祖神にして、特に荒御魂の廣田大御神は、勝運合格・開運厄除・子授安産・交通安全・立身出世などに霊験高き神として万民の崇敬をあつめています
廣田大御神は和歌文学歌謡の神としても崇敬され、勅撰和歌集の撰者である藤原俊成や源俊頼は和歌に詠み、後白河法皇撰録の『梁塵秘抄』にも廣田神社やその所管社を謡い込んだ今様(当時の流行歌舞)が多数収録され、文学に関わる先...
Read more奈良で開催されたとある講習会の帰路に、二十二社である当社の参拝と御朱印をいただくことを目的に訪問
とても良く整備され、手入れの行き届いた神社です
社殿も立派で格式の高さを感じさせる神社でした
阪神タイガースとも所縁のある神社
■廣田神社(2024/06/09訪問) 式内社(名神大社) 旧社格:官幣大社 二十二社(下八社)
御祭神:天照大御神之荒御魂 撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)
御脇殿 ・住吉大神 ・八幡大神 ・諏訪建御名方大神 ・高皇産霊大神
神功皇后の三韓征伐に出発する際、天照大神の神託があり、和魂が天皇の身を守り、荒魂が先鋒として船を導くだろうと言った。
神功皇后摂政元年(西暦201年)御凱旋の帰途、皇后の留守の間に忍熊王(おしくまのみこ)が神功皇后とお腹の中にいる皇子(後の応神天皇)を亡きものにしようと明石で待ち伏せていた。戦いを終え、帰途それを知った神功皇后は、紀淡海峡に迂回して難波の港を目指した。しかし、難波の港が目の前という所で、船が海中でぐるぐる回って進めなくなってしまった。そこで兵庫の港に向かい、神意をうかがうと、天照大神の託宣があった。「荒魂を皇居の近くに置くのは良くない。廣田国に置くのが良い」と。 そこで皇后は、武庫の地・廣田の国(芦屋・西宮から尼崎西部)に山背根子(やましろのねこ)の娘の葉山媛(はやまひめ)に天照大神の荒魂を祀られた。 これが兵庫県第一の古社・廣田神社の創建である。 このとき、生田神社・長田神社・住吉大社に祀られることになる神からも託宣があり、それぞれの神社の鎮座が行われた。すると、船は軽やかに動き出し、忍熊王を退治することができた。
1945年(昭和20年)8月6日の西宮空襲によって社殿を焼失する。空襲による全焼までは廣田山に鎮座していたが、戦後その東側の現在地に移転している。
本殿は伊勢神宮荒祭宮の旧社殿を譲り受けて1963年(昭和38年)に竣工したが、1981年(昭和56年)に不慮の火災によって焼失した。
1984年(昭和59年)に現在の本殿が完成し、2001年(平成13年)に鎮座1800年の喜節を迎えた。
廣田神社を中心とする神社群は、京から西国方向を目指す街道上にある神社ということで「西宮」(にしのみや)とも呼ばれていた。 えべっさんで有名な西宮神社は元は廣田神社の摂社。
#神社参拝 #廣田神社 #荒御魂 #二十二社(下八社) ...
Read more廣田神社を参拝しました。 西宮市に在す、阪神タイガースが毎年祈願をされる廣田神社です。 御祭神は、天照坐皇大御神の荒御魂です。 由緒には、神功皇后への「託宣」により、広田国に天照大神の和魂と共に祀られてい荒魂の御神鏡を廣田神社に移すとなっています。 最古の歴史書ホツマツタヱに依ると神功皇后が陰陽を重視する神道に於いてあり得ない「託宣」を出している。つまり記紀の記述には何らかの思惑が込められ正史を改ざんしていると考えられるのです。 ホツマツタヱによると伊勢の神宮の内宮は、東に天照大神(男性神・夫・和魂)、西に瀬織津姫(女性神・妻・荒魂)が祀っていたことを示しています。 例えば、イセは、イモ(女)・ヲセ(男)=メオトのことを短縮してのイセであり、伊勢の神宮は、天照大神夫妻を祀っていた。 イセに関しては、在原業平の伊勢物語は、125編の短編ストーリーであり、共通したテーマは男女、故にイセ(夫婦)物語となった。 当初、伊勢の神宮の式年遷宮は、40年に一度されていて、39年間は両宮ともそのまま建てたままであったと言います。 内宮正宮は、東西の敷地に高低差が設けてあります。陰(男)陽(女)の陽に当たる東が高くなっています。 今も本来の二宮に並べてお祭りしているのが、神宮の別院である瀧原宮、瀧原竝宮です。由緒書きに「天照大神の御魂をこのように二宮に並べてお祭りするのは、皇大神宮に天照大神を、同別宮荒祭宮に天照大神の荒御魂を奉祀する姿の古い形と言われています。」と記されています。 記紀の神話に対して、歴史書として納得のいく内容がホツマツタヱであり、例えば天照大神と素戔嗚尊の「うけい(占い)」で息吹で子どもたちが生まれることや、伊弉諾と伊奘冉の黄泉の国から追い掛けてくる物語などは夢で見たことになっています。 また、豊受大神は天照大神の食事を司る神の様になっていますが、ホツマツタヱには伊弉諾の親で、孫の天照大神を指導したという。これは、伊勢神道の大成者外宮の神官であった度会家行がの主張とほぼ一致している。 廣田神社の祭神の天照坐皇大御神の荒御魂は、瀬織津であり伊勢の神宮から追いやられた天照大神の妻のことであるとホツマツタヱ...
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