「来振神社」は、延長5年(927)延喜式神名帳に記載された式内社(美濃國大野郡来振神社、正二位式内来振大神)であり、明治6年(1873)には郷社に列し、明治40年(1907)には、神饌幣帛料供進神社に指定されています。
創建は、聖武天皇御宇神亀2年(725)6月であり、6月18日の晨暁、現在地の北西にあった白山の丸山(来振小峯317m)山頂に黄金色の雪が一尺余り降り積もったとされ「白山比咩神」の降臨との神託により、山頂に宮社を修め「来振明神」と崇め祀ったとの伝承があります。 それと同時に、白山山麓にあった新福寺を「来振寺」と改称しました。 降臨したとされる来振小峯は、石灰岩で山肌が白いため白山と呼ばれており、泰澄大師の白山信仰により白山を遥拝する山として「来振白山権現」と呼ばれ、このような伝承が成立していったといわれています。 御祭神は、伊弉諾命、伊弉冉命、菊理姫命、大己貴命、白山輔佐翁であり大切にお祀りしてあります。
「来振神社」は、長らく白山山頂に鎮座していましたが、明治時代から白山周辺の石灰発掘で削られることとなり、昭和43年に山麓の現在地へと遷座されました。
美濃国神名帳に、来振とつく神名が3つあります。 「正二位・来振大神」「正五位上・来振明神」「正六位上・来振比女神」であり「来振大神」は「来振神社」、「来振比女神」は、來振大神に対しての姫神で来振神社のすぐ近くに鎮座する「姫宮神社」とされています。 そして「来振明神」は、本巣市数屋に鎮座する「白山神社」とされています。
「来振神社」は、織田氏の侵攻で一度廃絶しますが、豊臣氏、徳川氏、そして特に大垣藩主戸田氏からの保護を篤く受け、社殿の営繕が続けられてきました。それ故に、御本殿屋根には、戸田氏の家紋である九曜紋が用いられています。
郷土の守護神として、約1300年もの間人々から篤く崇敬され続け、現在の発展に至っています。 また、「大野町無形文化財・来振ばやし」「大野町重要文化財・手洗石」「大野町天然記念物・フズリナ化石」があり、大野町の貴重な文化財が揃っています。
鳥居から社殿までの真っ白な様子は、まるで白山の再現のようです。 陽光に映し出される社殿は荘厳で神々しく、圧倒的な存在感で素晴らしかったです。 神域からは、パワーをひしひしと感じる事ができ、とても有難い貴重な時間を過ごすことができました。 また...
Read more来振神社を訪れてみて、一際目を引くのは、真っ白な参道とその横に作られた灯篭。 そしてまっすぐな参道の先には、社殿と本殿があります。 普通の見慣れた神社だと、参道や灯篭がここまで真っ白ということはないです。また参道や社殿が木々で覆われていることがほとんどですよね。
この来振神社は、白色が際立つだけでなく、参道が木で覆われていないという印象があります。まるで、外国の宮殿のようですね。
まっすぐ社殿まで続く参道はつい写真に収めたくなること、そして歩いてみたくなること間違いなしです(⋈◍>◡<◍)。✧♡
こちらの神社を参拝しましたが、調べてみるとかなり古い神社であることが分かりました!!なんと、725年からこの神社はあるそうです。
725年の6月18日(旧暦)にこの大野町の白山山頂に黄金色の雪が降り積もったことで、神が降臨したとなり、山頂付近に宮社を立てて祀られたことが始まりです。約1300年前からあるかなり歴史のある神社なのですね~!!
過去には、織田信長の戦火によって焼失し、徳川家康や豊臣秀吉の援助、大垣市藩主の戸田氏の援助で、復興し再建されました。
その白山は良質な石灰が採掘されるということで、山頂にあった神社は現在の場所に作られたとのことです。 約1300年もの歴史がある神社ということは知らずに参拝していました。歴史上で有名な、織田信長、徳川家康、豊臣秀吉なども関係しており、驚きました。石灰も豊富に採れた山が付近にあるということもあり、参道や灯篭などが真っ白なのでしょうか…。
駐車場:あり(...
Read more来振神社(きぶりじんじゃ)。岐阜県揖斐郡大野町稲富字白山。
式内社(小)、旧郷社。
主祭神:伊弉諾命 伊弉冉命 菊理姫命 大己貴命...
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