説明書きより 「宗堅寺 ○天正元年(1572) 四月三日に野田城主菅沼定盈の桐谷山幸春寺建立に由来する。定盈は伊勢国長嶋で生涯を終え、戒名の「勝徳院殿長翁宗堅大居士」から、幸雲山宗堅寺と名を改め、信濃国松本全久院第六世真翁宗龍を開山として迎え、菅沼家の 菩提寺となる。 ○その後、菅沼家は近江国膳所、丹波国亀山と転封されるが宗堅寺も藩主に従って移転した。 ○慶安元年(1648)菅沼定実が新城を与えられると宗堅寺も亀山から新城へ移転して今日に至る。尚、開山に勧請した全久院を本寺としたが明治になって全久院は廃却されたので、明治四年から大洞山泉龍院の末寺となった。 ○新城歴代藩主 (11代)の墓所 (菅沼家家老の今泉家と家臣の墓碑もあり〉 菅沼定実①—定易②—定用③—定庸④—定前⑤—定賢⑥—定那⑦— 定志⑧—盈富⑨—定信⑩—定長⑪
○宝物 ○信玄砲(伝説の鉄砲) 野田城の戦いで武田信玄を撃った鉄砲。 ○菅沼家累代の旗 縦3m×横1mの軍旗 (上から朱色、白色、朱色) ○船長日記 尾張国半田の船頭小栗重吉以下14名の漂流記録。 ○本尊—釈迦牟尼如来。涅槃図—菅沼定芳からの寄進。城主の肖像画。城主の墨跡等。 新城観光学会...
Read more2018/12/21参拝 信玄砲は、設楽原歴史資料館に移されている為、案内板はあれどお寺さんでは見る事はできません。
豊鳳沿線二十一弘法大師の札所である為、朱印はありますが、書置きを頂きました。専用の朱印帳は既に文字が書かれている為、押印のみして...
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