角渕八幡宮は鎌倉時代のはじめ、建久4年(1193年)源頼朝が那須野で狩りをした帰りに角渕で休み、烏川の風景が鎌倉の由比ヶ浜に似ていることで、後に奉行として上野国に入った足立盛長に命じて鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を勧請したことがはじめとされます。 中世の戦火に焼かれるまで、薬師堂をはじめ塔樓(とうろう)数棟、栄華を誇り、その後、応永18年(1411年)に関東管領畠山満家、永正4年(1507年)に白井城主長尾憲景の家臣吉里対馬入道が修理したとされています。...
Read more現在の玉村八幡宮は元来はここに鎮座していた。鎌倉初期に源頼朝公の命でここに八幡宮が創建され、以後紆余曲折を経て、江戸初期になって、例幣使街道の端に移築され、江戸後期になって跡地に再び角渕八幡宮が建造されたもの…(案内板による)。案内板、石鳥居、狛犬がいずれもピカピカで、社殿は南を向いて鎮座。本殿の彫刻が精緻。7~8本のケヤキの大木が社殿の巡りに聳えていて、辺り一面満開のヒガンバナの群落が、逆光を浴びて光り輝いていて、手前にある社殿をこの上なく厳かに際立てている…。だから、詣でるならこの時期が兎に角イチオシ、うっとりするようなモクセイの香りも漂っているから…。🅿️🚻...
Read moreこの角渕八幡神社は玉村八幡宮の元宮で、その創建は建久6年(1195年)8月、源頼朝の家臣で上野奉行安達藤九郎盛長が鎌倉鶴岡八幡大神の別御霊(わけみたま)を勧請し奉斎したのに始まる、と資料にあります。
角淵八幡宮が鎮座する「角淵」という地名の由来は、地域に数多く存在する蛇神伝説や龍神伝説にあり、この地域には以下の伝説があります。 「那波八郎伝説」 姿を現した怪物を、那波八郎廣純(なわはちろうひろずみ)は刀を振ってその首を切り落とした。このとき、怪物の折れた角を川に投げ、後に淵になったところが、現在の玉村町「角渕」であり、切った手を捨てたところが玉村町「上之手」...
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