平安時代創建で、現在は真言宗豊山派のお寺です。鎌倉時代中期は律宗で、住持であった源海上人ゆかりの重要文化財の梵鐘、県指定文化財の仏像といった寺宝が数多く残されています。みたところ鎌倉時代の梵鐘が普通に現役で撞かれているみたいです。 その当時、筑波山から土浦までは律宗の布教拠点であったらしく、鎌倉極楽寺開山の忍性菩薩ともかなりの関わりがあるようです。周辺の他のお寺さんでも忍性菩薩のお話を住職さんからお聞きしたことがありますし、土浦市立博物館の常設展示でも結構なスペースを割いて紹介されていたりします。
普段本堂の扉は閉ざされているようですが、私が参拝した際はたまたま檀家さんらしき来客があり、本堂内でお話しされているところをガラス越しに拝観可能かお尋ねできて、貴重な仏像を数多く拝観することができました。ご用意されているパンフレットをくださったり、快くご対応いただけて大変感謝です。 現在は真言宗のお寺なので、中央須弥壇には大日如来坐像が、向かって左側の須弥壇に鎌倉以降の作で、当初の本尊であっただろう釈迦如来立像をはじめとした仏像が安置されていました。 一般の方は、御朱印を頂戴する際にお願いすれば拝観させてもらえるかもしれません(違ってたらゴメンナサイ)。
真夏に参拝したのですが、鐘楼堂と石幢の間にツチガエルがいました。写真など撮りながら少し眺めていましたら、落ち葉の中から小さいのがどんどん湧き出...
Read more平将門所縁の安寿姫(如蔵尼とも)が宍塚の台地に尼寺を創建し、平安末期に現在の地に移転したと云う伝承あり
鎌倉時代、隆盛を誇っていた般若寺は、七堂伽藍や五重塔があったと云う
般若寺の梵鐘は鎌倉大仏の鋳造を手がけた鋳物師の名工 丹治久友の作で、常陸三古鐘の一つです
戦国時代、般若寺は幾度も焼き討ちにあい、壮麗な伽藍も無惨に焼失してしまいます
江戸時代初期、三島検校が江戸護国寺の観音堂を移築して、寄進したそうです(観音堂は老朽化した為、昭和52年に解体)
義民伝説 1780年、旗本 本堂氏の知行地(まだ志筑藩ではない)で、苛烈な治政に領民が困窮して、上訴を起こし、上佐谷村の名主...
Read more寺伝によれば、平安時代の天暦元年(974)平将門の次女安寿姫(如蔵尼)により尼寺として宍塚の台地に創建され、 平安末期に現在地に移されたという。 鎌倉時代には、北条執権の保護を受け、特に忍性菩薩が三村山に来住したため、律宗寺院として栄えたという。 戦国時代になると戦火によって堂塔を失ったが、江戸時代に、地元出身の三島検校が江戸護国寺の観音堂を移築して寄進している。 銅鐘は、建治元年(1275)僧源海が大勧進となり、鎌倉大仏の鋳造にかかわった丹治久友、千門重延が鋳造したことが確かめられ 在銘古鐘として全国的に知られています。 境内にはその他、建長5年(1253)の建立時期が刻まれた「結界石」や「石造五輪塔」「六地蔵石造灯篭」など多くの文化財があります。 結界石とは、寺院等の清浄な区域を標示するための標石で、特に戒律の厳しい律宗では、特定の行法に当たって必ず...
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