新撰姓氏録に神別 物部柏原連あり ( 新撰姓氏録には伊香我色男命後裔と伝わるが 柏原家家譜により詳細に 敏達天皇後裔 橘諸兄後 と伝わる。 つまり出雲族、葛城族、物部族 が既に密接に婚姻を繰り返した後であり又 物部というよりはもはや武内宿禰後裔葛城が濃くなっていた事が分かる。) 壬申の乱の折 弘文天皇方に与し敗戦 天武天皇の朝廷によりしりぞけられ官職を兵衛尉に降り持統天皇時 河内國渋川郷に流刑 天智天皇の後末桓武天皇が平安京造営を機に再び朝廷出仕するも降格した身分のまま兵衛尉として源氏や平氏と共に仙洞御所の警護北面武士を司っていた。 後柏原天皇がいまだ皇太子の時 柏原家の女との間に当家の初代 (源)大納言昌親が生まれ母系柏原(連)氏を継ぐ。 二代中納言昌玄、三代中納言昌継 そして応仁の乱が続くなか文明8年 四代目昌義が河内國国司として太田卿に来たと伝わる。 太田は古く大和朝廷の時代より皇室の御料所で嘗ては 悠紀田 主基田 として大嘗会の田に当てられたこともある土地で 太田 と云う名はそれに由来している。 戦国以降 武家が横行し公家の所領を抑え進貢せず細川家所領となった時代もあったが、公家に由縁する柏原がそうしたこの地域の因縁に以て京より任ぜられ、国司後大庄屋後支配役頭取として代官などの役をになっていた。 鉄道の普及迄 皇室の休憩所でもあった。 太田八幡宮 旧免田神社も柏原家が招来したものと伝わるが、招来元の記録は失われてしまっているが、1...
Read more2025年8月11日 16時から22時 「盆祭り 2025」が行われた。太田地区活性化プロジェクトが主催している。 地車囃子・天打鼓舞・シャイナ音頭・河内音頭五月家一若社中・正木建設正木猛司・ヤンレー節河内・音頭鳴門屋寿美若社中・地車囃子・ちきちん会・抽選会
太田地区の氏神で、もと免田神社と言った。免田は字名。品陀別命を祀る。出典:『八尾の史跡』 コンクリート造の立派な会館と記念碑が建っている。塀の上からは綺麗な朱色の本殿が見える。 駐連石をくぐり、境内に入ると掃き清められている。美しい。これぞ地元の神社である。 いくら由緒正しい神社でも、掃除がなされていないと神様は願いを聴いてはくださらない。逆に、美しく掃除されていると、神様通しが連携をして下さり、願いが叶うのだと教えていただいたことがあ...
Read more【太田八幡宮】(おおたはちまんぐう) 八尾市
この【太田八幡宮】(おおたはちまんぐう)の付近には古い町並みが数多く残っています。もとは「免田神社」と呼ばれてました。 【太田八幡宮】の由緒については、 「御祭神;品陀別命 免田神社は中河内郡大正村大字大田字免田にあり。 品陀別命を祀れり。 由緒は詳らず、明治3年4月本地内にありし、巽神社・品陀別命、天皇西川神社・品陀別天皇を合祀し、同年 5年村社に列し、同40年1月神饌弊帛料供進神社に指定せらる。...
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