御寺の雰囲気★★★★ 綺麗⤴住宅地街だけど立派! 御寺の御朱印★★★★ カッコ良い⤴拝受すべしっ!
★★★★★歴史も規模も管理も良い ★★★★ 管理も住職も素晴らしい ★★★ 親しみ易い町の御寺さん ★★ 少し寂れてる ★ 荒寺
[旧寺名] 善住山 地蔵堂 [現寺名] 久保山 自性院 地蔵寺
[旧地番] 郵政法施行前 久保村小名 北ノ谷 [現住所] 港南区大久保2-34-15
[宗派] 江戸期 古義真言宗 現代 高野山真言宗 旧本山 青竜山 宝金剛院 寶生寺 明治期 海龍山 増徳院 本泉寺 現代 高野山直接末寺
寶生寺は旧中本山格の寺院で、歴代住職が増徳院を兼務していた。 幕末明治の横浜元町発展に伴い、利便性から明治時代に中本山格を増徳院に移した為に、その末寺も本寺が増徳院に移った。 現在、増徳院は準別格本山だが関東大震災により南区平楽に移転。 恐らく、これにより高野山直末寺院に成った。
[江戸期] 本尊 地蔵菩薩 立像長一尺(30cm) 他 阿弥陀如来 不動明王 [ 現代 ] 本尊 地蔵菩薩 他 千手観音 不動明王 ※千手観音:東国札所六十六番本尊 ※不動明王:眞光寺の智秀和尚作 眞光寺は上大岡の歴史1000年以上続く寺院。
「勘九郎地蔵」については「EK」さんの書かれている口コミの解説が詳しいです。
[ 歴史 ] 平安時代に始まると伝わる。 寛永十二年(1635年)再興。 再興開山は権少僧都長信法印だが、戦火や無住職を経て数度再興されている。
平安時代に善住東国巡錫中に仏寺を開き、京都の仁和寺より久保山 自性院...
Read more2022/11/13 勝手気ままなクチコミに対し、思いがけず自性院から回答が有り、移転の時期の疑問はほぼ解消された。忙しい中、寺院さんもG-mapのを見ているようで、自分にとってはこれで3度目となる。特に今回の勘九郎地蔵尊の件では、部外者の素人の持つ疑問のために詳細を、また自分が気がつかなかったことも含めて説明して頂き、恐縮するとともに感謝する次第です。 本来ならば、「勘九郎地蔵尊跡」の説明書きの修正と「初代地蔵尊と2代目地蔵尊が同時期に祀られていたこと」の追加記述が有れば、物分りの悪い自分にとって理解が容易だったかも知れない。尤も、こんな細かいことに注目したり拘ったりするのは、自分だけかも知れない。 なお、当時は気がつかなかった「右側に建っている黒い石塔」の文字の件、再度写真拡大し確認した。「年代」の致命的間違いはどうなるのだろう。自分が心配することでは無いが、気になる。
22/11/10 高野山 真言宗 大久保山 自性院 に来た目的は、六ツ川に有った初代「勘九郎地蔵尊」を見るため。しかし、この場所への道はわかり辛い。ほぼ南区がそうだと思えて来る。 寺の創建は、古記録焼失のため不詳。旧村名 別所/最戸/久保/永谷 の有力檀家の菩提寺として護持してきた。当初は善住山地蔵堂と称し、平安時代末期に京都 仁和寺から院号「自性院」を賜り、久保山自性院地蔵寺と称した。1342年焼失、1510年罹災、1813年完全焼失、と災難続きで、中興の時期も不詳。大正15年に高野山直末の寺院となった。弘法太子像のほか、境内には庚申塔等が有る。寺ではあまり見ないのだが、真言宗はそうでないのかも知れない。
さて、「勘九郎地蔵尊跡」で説明書に間違いも有ったので、こちらの説明も読んで、確認したくなった次第。 まずは、参道の階段を登ると左側に「勘九郎地蔵尊」が有る。 地蔵尊の正面に彫ってある字を見ても、かすれて読み難い。何故こんなにも彫りが薄くなるのか。きれいにするため削られたのかも。 そう言えば、360年以上も経つのに、普通ならばこんなにきれいなはずが無いと思うのだが。 右側の文字はうっすらと有るが完全でなく、連想できる文字と文章が思い浮かばない。何かの願い事だろうと思う。 左側の文字は、かろうじて「万治三年XXXXX」と読める。
寺の説明では、 建立 万治3年5月15日(1660年6月22日) 自性院に移設 享和4年4月(1804年5月)
「勘九郎地蔵尊跡」の説明では、 建立 万治3年⇒一致 (3枚の内1枚の説明には「万延」と有り、それは間違い) 自性院に移設 享和4年(1687年)⇒不一致 年号の間違い、貞享4年(1687年)が正しいと考える。
この1687年が何処から来たかが不明ながら、この年が妥当と考える。なぜなら、地蔵尊が移転された後に2代目地蔵尊が建立されており、それが1772年。自性院のいう移転 1804年では、32年間地蔵は元の場所には無く、寺にも無く、一体何処に有ったのかということになる。 このように、石に彫られたこと以外は、すべて焼失後の言い伝えが文字になっても、それが真実かどうかわからない。 こういう例は他の寺社 /...
Read more自性院さんの境内に3基の庚申塔があると聞きお邪魔しました。 山門から入ってすぐ左手に庚申塔はありました。
一番右(本堂近く)の小さめの庚申塔からメモします。 板状駒型の庚申塔です。 日月、青面金剛立像、三猿で構成されています。 右側面に「寛政二 六月吉日」(1790) 左側面に「村講中」 と刻まれています。
次に、その左の庚申塔です。 舟形光背型の庚申塔です。 青面金剛立像、三猿で構成されています。風化で見えにくいですが青面金剛と三猿の間に願主達の銘が刻まれているようです。 正面右に「奉造立庚申供養為□□」 正面左に「寛文九□□」(1669) なんとこちらの青面金剛ですが、三面!の青面金剛像だそうで非常に珍しいです。
最後にその左(一番山門に近い側)の庚申塔。 山状角柱型の庚申塔です。 正面中央に種子(キリーク)、 「奉造立庚申供養」 正面右に「延享元年」(1744) 正面左に「子十一月吉日」 と刻まれています。 道標も兼ねていたようで、 左側面に「左 か祢さ已ミち(かねさわみち)」 と刻まれています。 右側面にも「とつか」の文字らしきものが確認できましたが、ハッキリとは確認できませんでした。
境内もとても綺麗で、居心地の良いお寺様です。 とても素晴らしいものを見せていただきました。 ...
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