『寿亀山松樹院弘経寺』は茨城県結城市結城にある浄土宗の寺院です。
創建は安土桃山時代の文禄4年(1595)、結城家18代当主結城秀康が娘の松姫(文禄3年1月9日早世)の菩提を弔う為、檀誉存把を招いて開山したのが始まりと伝えられています。
檀誉存把は元々現在の茨城県常総市豊岡町に境内を構える弘経寺の9世住職でしたが、天正5年(1577)に領主である多賀谷氏と当地に侵攻してきた小田原北条氏との間で激しい戦いがあり、その兵火により弘経寺が焼失した為、下妻に逃れ、結城秀康を頼り当地で再興を果たしました(一方、常総市でも再興が図られ千姫の菩提寺となっています)。
慶長5年(1600)の関ケ原の戦後、秀康が福井藩に移封になると、弘経寺は庇護者を失い一時衰退しましたが、江戸時代に入ると幕府が庇護し三代将軍徳川家光から寺領50石を安堵、さらに慶長年間(1596〜1615)に学問所である浄土宗関東十八檀林が設置され寺運も隆盛し文政年間(1818〜1830)には10軒の学寮...
Read more寿亀山松樹院弘経寺といい浄土宗のお寺になります。 御本尊は阿弥陀如来です。 飯沼「寿亀山天樹院」弘経寺「常総市豊岡」が領主多賀谷氏と小田原北条氏の争いで荒廃したため文禄年間(1592年~1596年)に結城家第十八代当主の結城秀康公の開基で、檀誉存把(飯沼弘経寺九世)の開山により創建されたお寺です。 江戸時代初期の慶長年間(1596年~1615年)には浄土宗関東十八檀林が置かれています。 別のいい伝えでは、結城家第十八代当主の結城秀康公が娘松姫(戒名:松樹院梅心芳薫大童女)の早世に対しこれを弔うため檀誉存把上人を招いて...
Read more【弘経寺】 寿亀山弘経寺は、浄土宗の名刹で桃山時代の文禄四年(一五九五)結城家十八代の城主秀康(徳川家康の子)がその息女松姫追善供養のため飯沼(水海道市)の弘経寺の住職檀誉上人を招いて建立したと伝えられ、のち浄土宗の学問所関東十八檀林の一つに数えられ、広くその名を知られました。 寺には、江戸時代の俳人、与謝蕪村が無在中画いたすぐれた「襖絵」や室町時代作の「当麻曼陀羅」があり、ともに茨城県文化財に指定されています。 また市指定文化財となっている史跡「砂岡雁宕の墓」があります。 なお、境内には蕪村の句碑「肌寒し己が...
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