★★★☆☆ - Nichts Besonderes, aber praktisch ausgestattet
Der Koyama Temple (医王山 多宝院 甲山寺) hat uns leider nicht besonders beeindruckt. Insgesamt fanden wir den Tempel eher langweilig, und er hat keine herausragende spirituelle Atmosphäre, die uns wirklich berührt hätte.
Positiv hervorzuheben ist, dass es dort Toiletten und Getränkeautomaten gibt – das ist gerade bei einem längeren Tempelbesuch praktisch. Wer auf der Pilgerroute ist, wird diese Annehmlichkeiten sicherlich zu schätzen wissen.
Historisch gesehen wurde der Tempel im 8. Jahrhundert gegründet und ist mit dem Mönch Gyōki verbunden, der hier das Haupthaus errichtete. Eine interessante Tatsache, die viele nicht kennen, ist, dass der Tempel in der Edo-Zeit als einer der "Schutztürme" für die Region Sanuki galt. Außerdem beherbergt er eine Statue von Yakushi Nyorai, dem Buddha der Heilung, was ihn zumindest für diejenigen interessant macht, die sich für die Heilungstraditionen im Buddhismus interessieren.
Abgesehen von diesen Aspekten bleibt der Koyama-Tempel aber eher unscheinbar und bietet wenig, das ihn von anderen Tempeln abhebt. Wer in der Nähe ist, kann hier eine Pause einlegen, aber eine besondere spirituelle Erfahrung darf man...
Read more四国遍路第74番札所「甲山寺」は、香川県善通寺市に建っているお寺です。総本山の近くで北西の位置しています。 毘沙門天の岩窟 大師堂の左手にある奥行12mほどの岩窟。大師が彫ったといわれる毘沙門天像が祀られています。 甲山寺の歴史・由来 甲山寺周辺は弘法大師の故郷で、幼少時代によく遊んだといわれる場所。平安初期、壮年期になった弘法大師は善通寺と曼荼羅寺の間に伽藍を建立する霊地を探していました。 ある時甲山を歩いていると、麓の岩窟から老人が現れ「私は昔からここに住み、人々に幸福と利益を与え、仏の教えを広めてきた聖者だ。ここに寺を建立すれば私がいつまでも守護しよう。」と言いました。弘法大師は大変喜び、毘沙門天像を刻んで岩窟に安置し、供養しました。 その後、嵯峨天皇の勅命を受けてこの地にある日本最大の溜池「満濃池」の修築工事を監督する別当に任命された弘法大師。朝廷が派遣した築池使さえも達成できなかった難しい工事です。弘法大師は甲山の岩窟で修復工事の完成を祈願し、薬師如来像を刻んで修法しました。すると大師を慕って数万人の人々が集まり、力を合わせてわずか三ヶ月で完成させたのです。朝廷からこの功績を称えられ、金二万銭を与えられた弘法大師は、その一部を寺の建立にあて、先に祈願をこめて刻んだ薬師如来を本尊とし、安置。山の形が毘沙門天の甲冑の形に似ていることから「甲山寺」と名づけられました。 薬師如来は、心身に災いする一切のものを除くといわれる仏様。甲山寺を訪れた人々の力強い支えとなっていることは言うまでもありません。 次は総本山の75番札所。ここから72・73番方面から来た所の分岐点を左手にほぼUターンして、分岐点を右に曲...
Read more四国八十八ヵ所霊場の参拝でお伺いしました。 真言宗善通寺派のお寺で医王山多宝院甲山寺といい、霊場第七十四番札所になります。 御本尊は弘法大師の作と伝わる薬師如来で、像高二尺五寸(約七十五cm)の檜の一木造りです。 縁起によれば大師が寺院の伽藍の建立地を探していたとき甲山の岩窟から老人が現れて「ここは霊地である」と大師に告げたという、大師はさっそく石を割って毘沙門天像を刻みこの岩窟に安置して祀ったのが寺の起源とされる毘沙門天の岩窟は奥行十二mほどで大師が彫造りしたとされる毘沙門天像が安置されている。 その後この地にある《満濃池》を修築するための別当に任じられ弘仁十二年(821年)に大師は再びこの地を訪れる満濃池は甲山寺から南東に十kmほどの場所にある巨大な溜め池で、たびたび決壊して付近の田畑を流していました池の規模が大きく修復工事に作業をする人夫が集まらず手を焼いていた時にこの地の出身である大師に白羽の矢が当たったのである。 このとき大師は修復工事に先立ち甲山の岩窟で工事の成功を祈願し薬師如来像を刻んで修法を行った、工事には大師を慕って数万人の人夫が集まり力を合わせてこの大工事を僅か三ヶ月で成し遂げたという。 朝廷から功績を讃えて与えられた金銭の一部を寺の建立に当てたと伝わり、大師は薬師如来像を本尊として安置し山の容姿が毘沙門天の鎧兜に似ていることから...
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