2025.2 1873年(明治6年)に熊野神社と船喜多神社を合祀して、厚木神社となったそうで、御祭神の多さが目につきます。 普段は参拝もまばらの様子。 震災や火災の影響か境内に木は数えるほどしかありません。 また近くに相模川が流れているからか境内に水神宮もあります。 本殿左側に参拝用駐車場あります。 【御祭神】 健速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと) 五十猛命(いたけるのみこと) 奇稲田比売命(くしいなだひめのみこと) 予母津事解男命(よもつことさかのおのみこと) 伊弉冉命(いざなみのみこと) 速玉男命(はやたまおのみこと) 大名牟遅命(おおなむじのみこと) 【概要】 『新編相模国風土記稿』によれば旧称は牛頭天王社と称し、厚木村の鎮守であった。 1902年(明治35年)2月の『郷社厚木神社御由緒調査書』では、創建は天延年間で、当時の太政大臣であった藤原伊尹が創建したといわれているが、伊尹は972年(天禄3年)11月1日に死去しているため、実際の創建時期はそれより前と推定される。 鎌倉時代には、那須与一が眼病の治癒を願って参拝したと伝えられる。 神体は石で、別当寺は智音寺であった。 「天王様」と呼ばれて郷土安泰や氏子守護の神として信仰されていたが、明治維新に伴う神仏分離によって、1873年(明治6年)に熊野神社と船喜多神社を合祀して、厚木神社と名称を改めた。ただし、昭和期に入っても旧称の天王社が併用されていた。 厚木神社は、関東大震災による激震と火災の被害を受けて全焼した。神社の周囲にあって地域の中心として繁栄していた1,000戸あまりの建物も全半壊して、ほぼ全滅状態となった。2016年(平成28年)9月、埋もれていた震災遺構(倒壊した鳥居の石柱など)を正面入り口に再建した。高さ約1.6メートルの折れた柱に「大震災倒壊記念」と刻まれていたが、いつ、どのような経緯で設置されたかは不明とされる。2012年(平成24年)、偶然に発見されたものを掘り出して関係者が協議の上で改めて再建したものである。 2014年(平成26年)4月20日の夜に放火され、神楽殿と近...
Read more新船喜田明神社。
【当社は 倭名抄 船田郷の遺名なるべければ古社なることを知るべし。 編相模風土記】とある。 平安時代【931年‐938年に編纂された】漢和辞書の和名類聚抄【わみょうるいじゅうしょう】に、船田郷と名称が残されている。 厚木は平安時代には 船田郷と呼ばれる地であったが、その名はここの神社に今も残っている。
残念なことに明治6年に厚木神社に合祀され、廃社され明治25年に再建された。
【慶長12年の鰐口をかける。当国厚木卿願い主 溝呂木孫左衛門 別当厚木山東光寺 慶長12年末。五月吉日】 神社のお賽銭を入れて綱をゆらすと鳴るどらのようなものが、鰐口というらしい。慶長12年の鰐口が当時の【相模風土記1841年頃】神社にかかっていたとのこと。 合祀され廃社され再建、記載されている神社とは別物とな...
Read more11月26日日曜日は、神楽(獅子舞)、骨董市が開催されていました。神楽は3回ほど行われたようです。オレンジ色の獅子舞や、身体のしなやかさを生かした曲芸的な動きは圧倒されるものがありました。地域の皆さんから愛されて、伝統が大切に受け継がれている様子がうかがえました。
骨董市は7,8軒程出店されていたようです。他の骨董市にも出店されている馴染の店もありました。
本厚木駅から神社に向かう途中、この街の歴史を感じる商店街を実体験できました。
現存する店々にも情感も感じましたし、住居一体型の3階建ての建物も、裏側から見ても当時の重厚感や華々しさが感じられました。
至る所に魅力を感じることがあり、...
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