Beautiful, historic place. The cherry blossom, azalea and autumn colours seasons are popular visit seasons, but anytime is worth it for the beauty of the location and 19th century building. The treasure museum needs. Reservation to visit. Grounds have huge rocks, ancient trees and Buddhist statues...and a replica of a stone lantern with secret Christian...
Read moreA quiet temple area off the beaten track. While the surrounding area is beautiful, there is not much else to see except the temple and the surrounding grounds. There is a relic museum, but was closed on a weekday morning...
Read more2022年10月12日に参拝しました。 お寺の名前通り、和人が信州善光寺の御本尊を模した像を安置するために小堂を建てたのが始まりとされています。また、延長4年826年、比叡山天台宗の僧侶円仁(慈覚大師)が有珠山頂に現れた阿弥陀如来を木像に刻み、ここにお堂を建てたのが開基とされています。 松前藩主松前慶広は、慶長18年1612年に如来堂を再興し、ウス善光寺如来堂として建立しました。 蝦夷三官寺の設置にあたり、幕府は、有珠善光寺と寺号を定め、浄土宗の寺院としました。御本尊は、津軽の今別本覚寺の貞伝上人作の秘仏、阿弥陀如来像だそうです。有珠山の噴火により、幾度か被害を被ってきましたが、その都度、修復され、現在に至っているそうです。 仏教をアイヌの人々へ布教するため、念仏上人子引歌が編まれました。その版木が、この寺に遺されています。また、有珠を訪れた円空作の聖観音像や松前藩家老下国慶季(下国安東氏の末裔か)が奉納したという鰐口なども遺されています。 寛政元年1789年に根室地域のアイヌが松前藩の支配に蜂起した「クナシリ・メナシの戦い」が勃発しました。また、ロシアやアメリカの艦船も北海道近海に出没するようになったため三官寺は、幕府の蝦夷統治を進める拠点として設置されました。当初、5箇所に官寺を建立する計画でしたが、幕府の財政難のため、3箇所のみとなったそうです。そのため、江戸時代までは、三ケ寺(さんかじ)と呼んでいたことが判明しました。三官寺と呼ぶようになったのは、明治時代以降のようです。 お土産に有珠善光寺...
Read more