有鹿神社(あるかじんじゃ)。神奈川県海老名市上郷。
式内社(小)、相模国五之宮説あり。旧社格は郷社。 「お有鹿様」とも呼ばれる。一説には阿波の忌部氏が当地にて祖先を祀ったのがはじまりとされる。 寒川神社の由緒書に「有鹿老 (あるかのおゆ)」という「有鹿の先輩」「有鹿神社の方が由緒がある」という意味の記載がある。寒川神社ではその由緒書を亡失した(出典:『鷹倉社寺考』)。 相模国の中原(チュウゲン)に位置する有鹿郷(現在の海老名市)の誕生と発展を物語る「総産土神」(ソウウブスナガミ)であり、神奈川県で最古の神社である。 とあります。
御祭神:有鹿比古命、有鹿比女命、大日靈貴命。 アルカヒコノミコト。『古事記・日本書紀』にはその名がみえない神で、太陽の男神といわれている。海老名耕地の農耕の恵みをもたらす豊穣の神として、海老名の土地の人々に篤く崇められてきた。農業・産業振興の神とされる。本宮と中宮で祀られている。 アルカヒメノミコト。『古事記・日本書紀』にはその名がみえない神で、水の女神といわれている。主な神徳は安産、育児など。奥宮と中宮で祀られている。 オオヒルメムチノミコト。天照大神の別名で皇室の祖先神とされている。『新編相模国風土記稿』にも祭神は大日靈と古縁起に記載がある旨が記されている。しかし、有鹿比古命が太陽神で同じとはいえ、女神と男神の違いがあるので、別の神であると近年結論付けられた。これはそもそも別当寺の総持院が真言宗であるため、その本尊を「大日如来」とすることから、後付けされたものと考えられている。また、明治時代も記紀の祭神を優遇する風潮により、そのまま大日靈貴命が祭神となっていたが、その後、旧に復した。
資料によると、 本宮は神奈川県海老名市上郷に鎮座し、有鹿比古命を祀る。 奥宮は、本宮から北に6キロメートル程離れた神奈川県相模原市南区磯部の「有鹿谷」に鎮座し、有鹿比女命を祀る。鎮座地の傍は水源となっていて小祠と鳥居がある。また、東側の丘陵(有鹿台)には勝坂遺跡がある。 中宮は「有鹿の池(影向の池)」とも呼ばれ、本宮から約600メートル(徒歩5分程)の位置に鎮座しており、有鹿比古命・有鹿比女命の2柱を祀る。鎮座地には小さい池(現在は水が張られていない)と小祠、鳥居がある。この池で有鹿比女命が姿見をしていたという伝承がある。
三社の位置関係は、本宮は鳩川の相模川への流入口域にあり、奥宮は鳩川の水源の一つにある。中宮は鳩川の中間地点の座間市入谷西の諏訪明神の辺りにあったが、中世期に衰退し、海老名の現在地に遷座した。なお、鈴鹿明神社の縁起では、有鹿神と鈴鹿神が争った際、前述の諏訪明神と弁財天の加勢により鈴鹿神が勝利し、有鹿神は上郷に追いやられたとされる。これが有鹿神社の移転の伝説となっている。
本宮の東方約400メートルの位置に鎮座する摂社の「三王三柱神社」境内には「有鹿の井戸(化粧井戸)」がある。先の中宮(有鹿の池)はここから北方約200メートルという位置にある。また、本宮の参道より南方約400メートル離れた所にかつては鳥居があり、その跡地には鳥居田があったが現在は消失している。かつての本宮敷地は現在より広大であった。
有鹿は、古代語の水の意味であり、鳩川沿いに形成された地域を有鹿郷という。有鹿神社のご神体は、相模原市南区磯部の勝坂にある泉湧く洞窟。奥宮のある地域周辺は、国の史跡に指定されている勝坂遺跡であり、有鹿祭祀遺跡からは、5世紀前半から7世紀前半の銅鏡、子持勾玉、管玉、石製玉類、石製祭具などが304点出土している(出典:相模原市HP...
Read more有鹿(あるか)神社,と読みます。かなり以前から気になっていたんですけど、地理的にややこしい場所にありまして、最寄り駅は小田急線(JR相模線)の海老名駅なんですが、位置としてはどちらかとゆうと、相模線側の海老名駅を西口に降りたところから向かって行けます。ただ、道が最後のほうで複雑になるので、分かりやすく行くとすると、一つ下った「厚木駅(これも小田急線とJR相模線)」からのほうが道は分かりやすいかもしれません。タクシーは相模線海老名駅の西側にたいてい1台は停まってます。厚木駅のほうには目ぼしいタクシー乗り場はありません。道さえ間違わなければ、海老名駅のほうがほんのちょっとだけ(数分の差だけど)近いはずです。厚木駅は、降りたら厚木街道をひたすら北へ進み、これが大きく東へ右カーブするところで、左に曲がります。そしたらすぐに市道を右折(右下の電柱足元にお不動様の石仏があります)、曲がったらそのまま道なりに北へ進めば正面に有鹿様の鳥居が見えてきます。海老名駅からだと今は西側駅前再開発中で、不完全な道路情報になってしまうので、詳述できませんが、上郷南(かみごうみなみ)の交差点を目指して、南西方向へ田んぼの畦道を進み、この交叉点(餃子の王将あり)に出たら横断歩道を渡って左折、どこでもいいから右側の住宅地へ入る路地に入り、有鹿さんの兼務社である三王三柱神社(さんおうみはしらじんじゃ/無人・寂しい/三峯さまあり)を見つけて、近所の人に「有鹿さんどこですか?」と尋ねれば、「すぐそこ(この時、指さす方向をよく見ておくこと)」と教えてくれます。有鹿小学校の真裏なので、学校裏を目指して行けば誰でも着きます。クルマの方は、東名分岐して海老名IC降りて厚木街道を左へ北折、小田急線厚木駅の高架下をくぐって進めば着きます。境内はほどほどに広く、東側から駐車スペースへ入れます。社殿は北を背に南面して建てられており、正面参道を入って、左手になぜか神社なのに鐘楼(鐘は突けるようになってるみたいです)、参心殿(左に神輿庫・右に多客時授与所)が並び建っています。授与所は社務所の棟にありまして、玄関前に、お札とお守りのサンプルボードが置いてあります。ふだんは、社殿の北後背が鬱蒼とした森なので、蚊が入って来るから玄関はマメに閉められていますが、どなたもいないときは、ピンポンありますから押せばどこからともなく神職さんなど出て来てくれますので、応対してくれます。授与品はどれもキャスター付きワゴンで玄関前に出してありますから、これが出ているとゆうことは、どなたかいるわけなので、呼んでみてください。参心殿あたりから、もぅパンダだらけで、さすがに以前はよく境内をウロウロするほどだったパンダの着ぐるみは(♂♀2頭いる/ほかにも隠しキャラあり)、社務所玄関入ったところの小上がりに鎮座。このお社の社格は高く、神代過ぎてすぐの頃辺り(縄文よりも前)から、このへんは有鹿郷と呼ばれて、楽園だったそうです。相模の枕詞「さねさし」創生のころですね。いまでも近郷には有鹿を冠する井戸や池があって、清水が湧き出ているのだそうです。しかしながら、この由緒とパンダの崇敬の連関は不明で、あまり詮索しないほうがいいみたい。ただ、パンダをキャラにしたのは大正解で、パンダイラストのお守りは、上野東照宮と和歌山の熊野三所神社と、この有鹿さまだけです。(上野と和歌山は分かるんだけど)結びつきは不明です。パンダ絵馬や御朱印帳もオリジナルであります。鐘楼も、とりわけこのお宮に習合の経緯があったわけではなく、純粋な崇敬氏子の寄進による鐘で、有鹿神社と鋳造され...
Read more有鹿神社(あるかじんじゃ)は、神奈川県海老名市の鳩川と相模川の合流沿いに形成された地に鎮座する神社。 惣国風土記によれば、嘗て鳩川は有鹿河と呼ばれ、一帯は有鹿郷と称した。 奈良時代から相模国の国府を守護する神社として、広大な敷地を有していたとされるが、室町時代の戦乱で荒廃。 安土桃山時代に海老名耕地の用水を守る「水引祭」が復活し、海老名総鎮守、相模国五ノ宮として少しずつ再興してきた。 御祭神は、有鹿比古命(あるかひこのみこと)・有鹿比女命(あるかひめのみこと)記紀には登場しない神様。大日靈貴命(おおひるめむちのみこと)の3柱。 有鹿神社には、鳩川の水源を守る「奥宮」、中流を守る「中宮」、相模川の合流点を守る「本宮」があり、それぞれに御祭神を祀っている。 方位除け・八方除けで有名な寒川神社のご由緒書に「有鹿老...
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