天平13年(741),聖武天皇による国分寺建立の詔により,諸国に国分寺・国分尼寺が建立された。病疫の流行や,凶作などの災いから仏教の力で国家を守ろうとしする考えに基づくもので,今から考えるとまったく都合のよい考え方ではあるが,当時は本当にそう信じられていたからこその命令である。甲斐国ではこの地に国分寺・国分尼寺が建てられていて,現在残る遺構の規模は南北255m、東西220mの規模を誇っている。大きな礎石から当時を忍ぶと,国家事業とあって金堂や講堂,塔の偉容が想像される。伽藍配置は大官大寺式だそうな。今は桃畑や人家に囲まれて,のどかな風景のなかに埋もれてしまっている。市教育委員会により,調査・保存がされているが,敷地内の管理等は現状維持がやっとという感じ。国の史跡に指定されているのなら,もっと予算確保してきちんと遺構の保存や建造物の復元などもしてほしいところです。奈良の平安京とまではいかなくてもそれを目指していってほしいと思...
Read more未整備の国分寺跡? 素晴らしい!上等です。何故なら復元整備してしまったら、オリジナルの実際に塔や建物が乗っていた礎石や心礎を見て触れなくなってしまうからです。今のうちに本物の質感や、柱を納めるための礎石の丁寧な窪み加工など存分にお楽しみ下さい。(笑)
現地はとりあえず将来の保存・復元の為に場所を確保した、という段階でしょうか。近いうちに他県の国分寺の整備計画に習って、金堂・講堂跡には石で作った基壇を復元し、余裕があれば周辺に回廊も設置するのは間違いない所だと思います。 そうなると礎石等は保護のため埋め戻され、基壇上にはFRPで複製した模造品の礎石が置かれることになります。要するにその上に直接に七重の塔などが建っていた訳ではないのですよ。
現地では長年建物の重みに耐え、風霜を経て朝廷や武田氏の興亡も見てきた石の声に、是非耳を傾けてあげて下さい。ほ...
Read more国指定史跡の寺院跡 駐車場あります 奈良時代に天皇の詔により建立され鎌倉時代に焼失 その後、戦国時代に武田信玄により再建される 以後この地にあったものの昭和57年に旧国分寺跡の調査や現国分寺保存などの為に移転を計画 平成22年に現在の場所(約200メートル南側)に移転完了 現在は廃墟と言うか更地になっています 礎石が残されている他にブルーシートで覆われた場所なんかもあり、現在も保存や調査が進行中である事がうかがえます 当時の伽藍をイメージしながら何も無い跡地を歩くと何となく...
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