小さな川と低い小山に挟まれたところに残る奈良時代の役場(郡が)跡で、地味ながら国指定史跡です。 1970年代後半、駿河台団地の宅地造成に際し、古い建物の跡が見つかり、「志太」という地名が書かれた墨書き土器が出土したことで、古代の役場の遺跡だと判明したそうです。当時の大井川や瀬戸川が氾濫していたとしても影響はあまりなさそうな場所です。
志太(しだ)地区というと、大井川河口デルタ域とされる島田市、藤枝市、焼津市あたりに広がる平野一帯のことをさすようです。藤枝市立総合病院が、以前は「志太」総合病院、サッカーの名門、藤枝東高校も旧制「志太」中学と呼ばれていた過去があったり、古い地名だろうとは想像していました。よもや奈良時代までさかのぼるとは驚きました。 資料館に、大井川河口域の流路と当時の地名が書かれた地図がありましたが今の藤枝や焼津あたりは中州だらけで、その間を網の目のように流れており、「高柳」など藤枝市内に今もある地名を見つけました。
訪れる人も少なく、公園のようなのどかな雰囲気です。派手にPRはしていないものの、歴史的価値は高く、珍しい史跡です。月曜や年...
Read more今まで縄文遺跡や旧石器時代遺跡に興味を持っていたのですが、たまたま訪れたここ。とても興味深く感銘を受けました。 旧石器時代や縄文時代、いわゆる先史時代と違うのは、人の営みが記録として文書で残っていることです。そのことがこの場所の歴史的な意味を具体的に事実として伝えてくれることです。 この時代の人の営み、社会のあり様などを事実として伝えてくれます。勿論この史跡だけでは解らないことは沢山ありますが、それだけに想像力を刺激されます。 言ってみれば、たかだか千数百年前の事なのですが、先人は後世に何かを残そうと思うことは無かったのだと思うので、私達は残された文字や文書、遺跡から想像するしか無いのですよね。このことがとても楽しい事だと、この場所で改めて解りました。 井戸の跡、柱の跡、これらからいろいろ想像してみてください。...
Read more8~9世紀にかけての平安時代の郡衙跡、国の指定史跡です。 但し、ここの敷地は縦横ともに100メートルもなく他地域の郡衙跡と比較して小振りであり、ここは図書館や離れの住居跡ではないか、とも言われています。
堀立柱の遺構が出土しており、現在はその位置に柱だけ再現しています。
隣接する資料館もありますが、中の方はつっけんどんな対応の上、施設自体もやや古ぼけており、あまり気合(?)が入っていない様子で、ちょっと残念です。 せっかくのポテンシャルですので、見せ方一つで藤枝の観光資産と...
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