露出した石室を有するゆえ「関東の石舞台」とも呼ばれているそうですが、そうなるに至った経緯はまったく異なります。 奈良の石舞台古墳は、長年にわたって風雨にさらされた結果、墳丘が流失して石室が露出したとされています。一方こちらは長年の風雨には耐えたものの、戦前の乱開発により墳丘が取り崩され、採取された土砂は沼地の干拓と工業・住宅用地の造成に使われたそうです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。 現存する石室の規模からして特別史跡級の価値があったと考えられますが、何もかも台無しです。八幡山古墳をふくむ若小玉古墳群は、近くの埼玉古墳群(国指定特別史跡)をしのぐほどの規模だったとされていますが、遺構のほとんどは失われました。埼玉歴三十年の埼玉県人でも「埼玉県人にはそこらへんの草でも食べさせておけ」と思ってしまいます。 石舞台古墳のように周辺をふくめ適切に保存されていればさぞやの見ごたえであったと思われるものの、工場と倉庫、住宅が立ち並ぶ中にある大きくもない公園に、裸にむかれた石室がぽつんと取り残されているだけなので、それが見事であるほどに残念な思いが募ります。展示館などが整備されていればもう少し何とかなったと思うものの、残念ながらそのためのスペースがありません。 とはいえ石室は石組が素晴らしく、当時の技術力と被葬者の権勢のほどがしのばれます。花見以外の目的で埼玉古墳群を訪れた古代史好きの方なら、少しばかり足をのば...
Read more若小玉古墳群の中心と位置付けられている。7世紀前半に築造され、径 74mの大型の円墳である。土取りによって封土が削平されたが、その折に横穴式石室が現れたのである。しかも前・中・後室と3室構造で、全長は19mを測ると言う 長大で、巨大な石室である。石室は修復、復元、保存されて今に至っている。調査によって木棺が収められていたことが判り、それが最高級の漆塗木棺だったと言う。また豪華な副葬品も検出されており、被葬者はこの地における権力者、それ以上だったかもしれない。 玄室の石組はまるでモザイク、パズルの様だ。凄いの一言である。然も両側壁は持ち送りの様である。今まで様々な石室を見て来たがこの様な石室は初めて見るもので、特別な造りの様で驚きを隠せない。これは被葬者の位の高さを表しているのかもしれないな。 この石室の形状からあの石舞台古墳に匹敵すると言われ「関東の石舞台」と呼ばれている。また、白山、浅間山、とともに当該地域の古墳築造の終わりに近づいていると言う。まあ全国的に見ても古墳築造は7世紀半ばには...
Read more東日本最大級の石舞台があります。直線的に切られた石が多く現代風に整備されています。 ただし屋根に使われる4枚の大きな石板は7世紀当時のものだそうです。毎日11時に管理人の方が自転車で来られるのでそのタイミングで鍵を開けてもらい中に入ることが出来ます。パンフレットも2部頂けます。写真撮影は自由との事です。地方豪族の墓という見方が一般的ですが当時の有力な宗教関係者の墓との見方もあるとの事でした。余談ですが初めて中に入ると最奥が真っ暗で入るのが躊躇われる印象ですが勇気を出して一歩踏み入れると電灯が点くので安心して見学できます。私見としては、周りが工業団地になっており、多くの遺跡が取り壊されたり、未発掘の状態にあるという事で、近隣のさきたま古墳公園を含む一帯の世界遺産登録への障害にな...
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