○「交野天神社(かたのあまつかみのやしろ)」と称し、御祭神は桓武(かんむ)天皇の父の「光仁(こうにん)天皇」を主祭神として、合祀されている「八幡神社」の御祭神「誉田別命(こんだわけのみこと=応神(おうじん)天皇)」と「春日神社」の御祭神「天児屋根命(あまのこやねのみこと)」ということです。 ○また、継体天皇の宮「樟葉宮(くずはのみや)」の推定地とされ、ここで即位したとされています。 ○ここを訪ねたのはYTVよみうりテレビの情報番組「情報ten」のコーナー「若一調査隊」でこの神社が取り上げられていたので訪れました。 ◎私は、淀川の対岸の高槻市の西部に住み、「継体天皇三嶋藍野陵(太田茶臼山古墳)」と、真の「継体天皇陵」とされている「今城塚古墳」を見ながら育ちました。父は継体天皇の出身地とされる「越前国三国」の近く「福井県坂井市」生まれです。なので「継体天皇」についてはたいへん興味があります。 「交野天神社」を訪れたのは、継体天皇についての知識を求めてのことでした。 ①「樟葉宮(楠葉宮)」 継体天皇が、この地に宮を築き、即位したことについては、もっぱら「大和国(奈良県)の勢力の抵抗があったから」と説明されています。 それとは別の点もあったとの考えを述べておきます。 この地一帯は「交野郡」といってヤマト政権(大和朝廷)で重い役割を占めていた「物部氏(もののべし)」の拠点で「肩野物部氏」の領地でありました。 その首領の大連(おおむらじ)「物部麁鹿火(もののべのあらかい)」の推戴で即位をしたのですから、そこに宮を構えるのは少しもおかしくはありません。葛城氏(かつらぎし)と関係が深い時は飛鳥へ、蘇我氏とならば河内の近つ飛鳥へと宮を移しているのですから。 もう一つ。真の継体天皇陵とされる「今城塚古墳」に巡らされていた円筒埴輪には舟形の印がつけられていることから「淀川の水運」を重視していたと考えられるます。琵琶湖の畔(ほとり)の高島を勢力圏としていた継体天皇はここから、淀川の支配を考えていてもおかしくありません。のちの「大化改新」で「五畿七道」が整備されたときは、大和国から北上してきた最重要幹線道路「山陽道」は木津川沿いから男山丘陵の鞍部を越えてこの地の脇を経て「楠葉駅」に向かい、さらに淀川を渡って「大原駅(高槻市梶原)」に至り、そこから西へと進んでいたのですから。 ここがポイントであったことがわかります。 ②「交野天神社」 奈良平城京から長岡京へと遷都した桓武天皇が、ここで天を祀る「昊天(こうてん)」の儀式を行ない、そして父の光仁天皇を祀ったとされています。 では、なぜこの地で「昊天」の儀式が行われたのでしょうか。それは桓武天皇が南の姿のよい「交野山(こうのさん、かたのやま)」を目指して儀式を行ったと考えられるのです。 「交野山」の山頂付近には「観音岩」という巨石があってこの上に登ると「交野郡」一帯が広く見渡せられます。 物部氏の祖神の「饒速日命(にぎはやひのみこと)」は別名「天照国照彦天火明櫛玉饒速日命(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)」という太陽神で、磐船(いわふね)に乗って北生駒の山上に天下ったとされます。その場所は「磐船神社」であるとされていますが、本来は同じ山塊の「交野山観音岩」だったのだと考えれば、それが理解できると思います。 新都長岡京の朱雀大路の先は「交野山」を基準とされているということもあります。 桓武天皇の母は高野新笠(たかのにいがさ)という人物で、この交野の地の百済系の渡来系氏族「和氏(かし)」の娘でした。(タカノとカタノの音が似ていますネ) 大阪市生野区には「御幸森天神宮(みゆきのもりてんじんぐう)」が鎮座していますが、この「天神」も「菅原道真」ではありません。仁徳天皇です。ここで取り上げたのは「御幸森天神宮」のある所は、古代は「百済郡(くだらぐん)」といって、百済の王族の渡来人の住むところでした。その百済系の渡来人が移ってきたのが交野郡で枚方市中宮に「百済王神社」が鎮座しています。 桓武天皇は母方の百済系の渡来人の影響を受けて「昊天」の儀式や「交野山」を軸とした新京「長岡京」を造ったと考えられます。 ③貴船神社 「樟葉宮」旧跡とされる高台に鎮座しています。京都市鞍馬の「貴船神社」は「水源の神」です。この高台に「水の神」があるのは違和感を感じました。たぶん、南方にある「鏡伝池」に関わ...
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Read moreここは、歴代天皇の中で最も謎に包まれた 「継体天皇」が即位した伝承地として知られます。
地域にこよなく愛される神社で、 休日になると、最寄りの商店街が出店を出す 「朝カフェ」が開かれるらしいです。
そんなに規模の大きま神社ではありませんが、 穴場のパワースポットとして、 スピリチュアルな方の参拝が多いのも 特徴らしいです。
本殿は光仁天皇とともに、 天兒屋根命(あめのこやねのみこと)、 菅原道真(すがわらのみちざね)公の2柱が 合祀されています。
本殿の隣には、 誉田和気命(ほむたわけのみこと)をお祀りする 八幡神社が鎮座。
いずれも国の重要文化財であり、 また、強...
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