2024/10/5 高野山真言宗 飯盛山 仁王院 青蓮寺、空海が弘仁10年(819年)に開山。本尊 は弘法大師像(鎖大師)。 関東八十八ヶ所霊場59番、東国八十八ヵ所霊場88番。 まずは境内を拝見。コスモスも咲いて庭園の感じを受ける。初めて見る”愛染明王像”、閻魔よりも怖い顔をしている。石像が多く、特に空海坐像が多く見られる。開山が空海なので、これほど弘法大師/大師遍照金剛を押す寺院は他に無い。 ここで、おそらく誰も興味は無いだろうが、門前に立つ3基の碑。見ると「相州二十一ヶ所第十九番」が2基。(さらに南無大師遍照金剛碑が1基、これは真言宗の寺院では普通) 正確には「弘法大師 相模二十一ヶ所霊場」というが、この霊場発祥の経緯は知られていない。明治期に出来、その後消滅したようだ。鎌倉のいくつかの寺院にも有る”相州21箇所”の石塔/石碑は、その名残。 道路側の碑から見る。 ①石塔 鎖大師 (平頂方柱/文字) 「種字(アーンク) 御自作 鎻大師 相州二十一ヶ所第十九番 ・明治三十七年 東京市本所區緑町壱丁目 ~二十一ヶ所 発起人 増田熊次郎」 ー1,904年建立。(無関係だが日露戦争が始まった年)
②石碑 鎖弘法大師 (板状自然石/文字) 「鎻弘法大師 相州二十一ヶ所拾九番札所 青蓮寺 ・明治三十七年五月吉日 東京千住高盛講社 ~謙齊 山崎子◯ 拝書」 ー1,904年建立。表の題字は、池田 謙斎(医学博士/華族-男爵)だろうか。
③石碑 南無大師遍照金剛 (板状自然石) 「南無大師遍照金剛 神田 末廣講 ・寄附連名 一金壹千七百拾圓也ー ~大正貳年五月五日 建之」 ー1,913年建立。
番外 この碑は門を入って左側に立つ。 ④顕彰碑 (板状自然石) 「恩福碑記竝銘 手広笛田之地 古来不便 灌漑年〃有水利之争 終至葛藤結而不解矣 明治九年村人使 和田七郎左衛門/内海源右衛門 ニ者決之法(衛)二姓拮据従事五年会由有志者調停 而僅得解焉是二姓相議曰(雖)葛藤解矣 水利如舊則他日復有結宜於今日断其緒也 仍新築堤塘又造分水器置之内堀川第一号堰及境川第二号堰使分水量明確而不可争焉 爾来十数年両村和融田〃苗秀家給足 無復往日争䦧之態 嗚呼若㣲二姓則事未可知也 項者村人胥謀建碑以不朽厥㓛求余銘乃係銘曰 善断葛藤 鎮効平和 有徳之作 金石不磨 明治三十三年庚子秋九月二十又八日 特住 円覚大教正 釈宗演 撰弁書」 ー1,900年建立。明治の文は難しい。題名からして聞き慣れない。(正しく読めているかな?) 手広村と笛田村間に繰り返し有った水争いを、2人で不可逆性の方法で解決したことの顕彰碑。 碑文は、なんと知る人ぞ知る円覚寺の”釈宗演”...
Read more神奈川県鎌倉市手広に境内を構える、飯盛山 仁王院 青蓮寺、丁寧、親切な対応で色々と有難い話をして下さりとても良い寺院様でした 、2024.8に初参拝致しました、どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は飯盛山、院号は仁王院、寺号は青蓮寺、寺格 は準別格本山、宗旨 宗派は高野山真言宗、ご本尊は鎖大師(弘法大師空海) 関東八十八ヶ所霊場 第五十九番札所、 東国新四国八十八ヶ所霊場 第八十八番結願札所、相州二十一ヶ所霊場 第十九番札所、弘仁10年(819年)に空海(弘法大師)が開山し、長禄年中に善海が再興したと伝わる。天正19年(1591年)には徳川家康より手広村に25石の寄進を受け、関東壇林三十四院のひとつとしても名を連ねる[1]など徳川氏からは寺格を高く評価されていたようだが、天保4年(1833年)に起きた火災と関東大震災の時に寺院が倒壊した事によって寺の史料の多くが散逸しており、詳しい事はよくわかっていない。 近世初期には相模国に30以上の末寺を抱えていたが、江戸時代中期以降はその多くが、無住ないし廃寺となっており、寺院経営は苦しかったようである。 寺には、弘法大師が寺の裏手にある山(飯盛山)で修行をしている時に天女から仏舎利を託され、翌朝目を覚ますと青い蓮華(ハスの花)が一面に咲いていたという伝承が残っており、寺の名前もこれに由来している。なお飯盛山は戦後急速に宅地化が進んだ周辺区域の中でも比較的豊かな自然が残存しているため、鎌倉市でその自然環境を保護しようとする動きがある。 寺は神奈川県道304号腰越大船線と旧江ノ島道に面している。かつて旧江ノ島道から青蓮寺へ抜ける洞門が存在したが、県道304号が開通した際に山ごと切りくずされ、以降この洞門は入り口で封鎖されている。なおこの洞門の付近には庚申塔があり、かつては洞門の付近を村の境としていたことが推測される。...
Read more102.青蓮寺(別名鎖大師) アクセス: 湘南モノレール・西鎌倉駅徒歩約15分。 駐車:あり、無料 拝観:自由拝観 近隣:『鎖大師参道』と『谷戸坂の切通』 山号:飯盛山仁王院青蓮寺宗派:高野山真言宗 創建:弘仁10年(819年) 開山:空海(弘法大師) 本尊:弘法大師空海・・・国重文 (別名:鎖大師) ・この大師像はもともと、鶴岡八幡宮にあったが、明治に起きた廃仏毀釈のあおりを受けこの寺へ移され今に至っている。
・本尊の弘法大師像の両足の間接が鎖でつながれて、目は玉眼、爪は水晶で造られており鎌倉時代後期の貴重な彫刻として国重文に指定されている。 ・信仰上の意味では、「大師様を信仰する人と大師様が鎖のように強いご縁で結ばれますように」との祈願が込められている。
本尊の公開は1月21日、4月の21日、8月16日、12月21日、大晦日
行事:鎖大師正御影供大祭(4月15日午後2時)
・小さな隧道『鎖大師参道』と『谷戸坂の切通』~ 行き方: 青蓮寺を出て右に曲がり県道304号線を江ノ島方面へ進みます。 カーブを過ぎるその手前に左に入る道があります(向かいにある赤い建物(中華一番)を目印にして下さい)ので、そこを入り進んで行くと左側に目的地があります。
かつて、旧江ノ島道から青蓮寺へ抜ける洞門が存在したが、現在の県道が開通した際に山ごと切りくずされ以降、この洞門は封鎖されていて池の横に石碑だけが残っている。 また、この洞門入口のすぐ先に「谷戸坂の切通」があります。入口にバリケードが築かれていて、見る事は出来ても、切通内に進入する事は出来ません。 切通自体は短い物ですが、左右の高い壁は迫力があります。
御朱印: ①鎖大師 関東八十八ヶ所霊場 第59番札所 ②鎖大師 相州二十一ヶ所霊場 第19番札所 ③薬師如来 東国新四国八十八ヶ...
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