Kannonji is the name of this temple, as well as the city in which it was built. This temple is a bit rustic, well-worn, and warm with wood forms, polished by hand and feet over time. During the Mongol invasion the Emperor Kameyama came here to pray for deliverance. Kannonji is the temple to pray in for victory over your enemies, and for...
Read more四国遍路第69番札所(讃岐)「観音寺」は、香川県観音寺市有明の小高い山の麓に建っているお寺です。先の68番札所と同じ境内なのですぐに参拝できます。 納経も2ヵ寺分まとめて行います。📗 当本堂は、観音寺金堂とも呼ばれ、元あった東・西・中の三金堂の内の中金堂であり、平安時代初期に建立されたが、幾度かの改築の後、大永五年(1525)十二月に、法印澄瑜が大檀那源(細川)氏信以下の寄進により再建したものが現在の建物であると、記録に残る。なお、昭和三十六年(1961)に解体修理を行った。本尊聖観世音菩薩、脇侍に釈迦如来、薬師如来を祀る。 観音寺が第六十八番・神恵院と同一境内にあり、開基も創建の時期や由縁も同じであることは、前項で述べている。ただ、創建されたころの寺号は「神宮寺宝光院」と称した。以来、100年後の縁起からたどる。大同2年(807)、弘法大師は琴弾八幡宮の本地仏である阿弥陀如来像を納めたとき、この寺の第7世住職となって入山したと伝わる。そこで大師は、琴弾山の中腹に奈良の興福寺に倣って中金堂、東金堂、西金堂の様式で七堂伽藍を建立し、その中金堂には本尊とする聖観世音菩薩像を彫造して安置した。さらに、この地に仏塔を建てて瑠璃、珊瑚、瑪瑙などの七宝を埋め、地鎮をしたことから、寺名の神宮寺を「七宝山・観音寺」に改め、霊場に定めたとされている。 桓武天皇(在位781〜806)はじめ3代の天皇の勅願所となり、また室町時代には足利尊氏の子・道尊大政大僧正が住職として45年間務めるなど、寺運は隆盛を誇った。だが、やはり明治新政府の神仏分離令により本地仏を移し、一境内に二霊場となった。本堂は、金堂とも呼ばれて室町時代の建築で国指定重要文化財。朱塗りの柱が色鮮やか。境内には宝物館があり、彫刻としては珍しい「仏涅槃像」(厨子入り、平安〜鎌倉時代)をはじめ、絵画では「琴弾宮絵縁起」(絹本著色、鎌倉時代)、「不動二童子像」(絹本著色、室町時代)のほか、前項で触れた本地仏像など国の重要文化財が数多く収蔵されている。 ここの次は、観音寺市街地を抜けて国道11号線に戻り、左折して数キロ高松方面に走って財田川に架かる橋をわたれば左手に70番札所...
Read more四国八十八ヵ所霊場の参拝でお伺いしました。 真言宗大覚寺派のお寺で七宝山観音寺といい、霊場第六十九番札所になり二つの霊場札所が同じ境内にある霊場になります。 御本尊は弘法大師の彫像として伝わる聖観世音菩薩になります。 霊場第六十八番札所と同じく日証上人が大宝三年に創建し、寺号は「神宮寺宝光院」と称しました。 大同二年(807年)に弘法大師は琴弾八幡宮の本地仏である阿弥陀如来像を納めたとき第七世住職となってこの寺に入山したと伝わる。 大師は琴弾山の中腹に奈良の興福寺に倣って中金堂・東金堂(弥勒菩薩)・西金堂(薬師如来)の様式で伽藍を建立し、その中金堂には御本尊とする聖観世音菩薩を刻んで安置した、さらに仏塔を建てて瑠璃・珊瑚・瑪瑙などの七宝を埋め地鎮をしたことから寺名を「七宝山観音寺」に改め霊場に定めたとされる。 桓武天皇をはじめ三代天皇の勅願所となり、また室町時代には足利尊氏の子道尊大政大僧正が住職になり住職を四十五年務めるなど寺運は隆盛を誇った。 明治新政府の神仏分離令で本地仏を移したため一境内に...
Read more