織田家宿老のひとり森三左衛門可成の菩提寺です。 可成の次男、鬼武蔵こと長可(ながよし)創建とのことです。
お寺の上には町おこしで目にする蘭丸の墓碑もあり、森一族の菩提を弔われてました。 伺った日、お寺を抜け新しいコンクリートの擁壁が厳重なお墓のゲートでご住職にお会いし、気さくに開けてくださり参拝させていただきました。
森一族の墓碑群はゲートから2〜30m登ったところにあり、無数の古い墓標の脇を抜けた先の、白壁に囲まれた廟所のなかに在ります。 急斜面で上の山は何度も崖崩れがあったのか、堅固な砂防堰堤が設置されており、その堰のうえからは山の冷気が降りてきて廟所をより厳粛な雰囲気にしてくれます。
参拝を済ませてお寺に下りると、ご住職と奥様に迎えられ、この可成寺のことや街のこと、歴史的なことや近くの観光地まで案内いただきました。 奥様はお寺の中まで上がっていってと、怪しい風体のいちバイカーを快く迎えて頂けたのはとても嬉しかったです。 由緒ある寺院でも、現代に根付いた人とひととの結びつきを強く...
Read more可成寺(かじょうじ)は、岐阜県可児市兼山にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は大龍山、本尊は釈迦如来である。森氏の菩提寺として知られる。美濃金山城主で森氏当主の森可成が宇佐山城の戦いで死去したため、嫡子の森長可が菩提寺として栄巌を開山に招いて美濃金山城の東にある寺が峰に創建した。長可が天正12年(1584年)に小牧・長久手の戦いで戦死するとその墓が寺内に建立されている。森氏が慶長5年(1600年)に信濃国川中島(現在の長野県長野市)へ移封された際に現在地に移転した。江戸時代には大名であった森氏により堂宇が整備されるなど保護されている。昭和42年(1967年)に岐阜県八百津町に所在していた森成利、森長隆及び森長氏の...
Read more織田家の客将、森三左衛門こと、可成の菩提寺です。 山岡荘八の「織田信長」では「三左」の呼ばれ方でよく登場し、横山光輝の漫画では、信清を犬山城で追い詰めたり、坂本で討ち死にしたりと、よく記憶に残っていたので伺いました。 奥様にお相手をして戴いたのですが、話がお好きのようで、色々とお話しして戴きました。
お寺自体はさながら、船着き場の守りを固めるような出城感覚で、石垣で囲まれた枡形風の入り口になっていました。 川からの侵入を防ぐためか、通りには同じようにお寺が配置されていまして、それぞれが石垣で囲まれており、金山城に行か...
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