田島神社(たしまじんじゃ)。佐賀県唐津市呼子町加部島。
式内社(名神大)、旧国幣中社。 宗像大社の元宮(ルーツ)ともいわれる。 加部島にある神社。地域は魏志倭人伝の中で倭国本土の最初の地として登場する末盧国にあたる。
主祭神:田心姫尊、市杵島姫尊、湍津姫尊。 配祀神:大山祇神、稚武王尊(田島大明神) -...
Read more加部島田島神社は、呼子大橋を渡って加部島(面積2.72平方キロメートル、周囲約8km、人口542人)に入り島の東岸を2kmほど進むと加部島漁港のある海のそばの高台に鎮座している神社です。旧社格は国幣中社です。
天平時代(7世紀末から8世紀中ごろ)に建立されたといわれ、奈良時代初期の歌人・山上憶良が歌に詠んだ松浦佐用姫ゆかりの神社です。 当社への朝廷の御崇敬は特に篤く、奈良時代天平10年(739年)には、大伴古麻呂に詔命があって田島大明神の御神号が送られました。 大同元年(806年)には神封十六戸を充てられ、正四位に列せられました。 海上守護の神として広く知られ、遣隋使や遣唐使も航海の安全を祈願して参拝したと伝えられています。 肥前の国で最古の神社とも言われ、延長5年(927年)にまとめられた延喜式神名帳にも「肥前国松浦郡 田嶋坐神社」としてその名が記載されています。 境内には平安時代中期の武将である源頼光が肥前守として都より下向した際に寄進したと伝えられる「頼光鳥居」もあり、これも佐賀県下最古と言われるものです。 中世以降は諸武将の崇敬も厚く、江戸時代に入ってからは唐津城主の祈願所となりました。
境内には、「肥前国風土記」に記された日本三大悲恋物語の一つ、松浦佐用姫伝説にまつわる佐用姫神社もあります。ここに祭ってある「望夫石(ぼうふせき)」は、恋仲の大伴狭出彦(おおとものさでひこ)が百済に向けて出航する際、その悲しみのあまり佐用姫が石になったものだといわれています。この石に祈願すると添い遂げられる相手と結ばれるといわれ、縁結びの神社としても人気があります。
主祭神の3柱は宗像大社祭神の宗像三女神(田心姫尊・市杵島姫尊・湍津姫尊)に同じで、田島神社では「田島三神」と総称されます。 配祀神は、大山祇神(山の神)・稚武王尊(仲哀天皇の弟)です。
境内社の御崎神社の御祭神は級長津彦神(しなつひこのかみ)・...
Read more佐賀県唐津市呼子町加部島の田島神社は、天平時代 (7世紀末から8世紀中頃) に建立されたといわれる。
海に面して鎮座する田島神社は、海上守護の神として広く知られ、遣隋使や遣唐使も、航海の安全を祈願して参拝したと伝えられている。
境内には、「肥前国風土記」に記された日本三大悲恋物語の一つ、松浦佐用姫伝説にまつわる佐用姫神社もある。
日本三大悲恋伝説は、「羽衣伝説」、「浦島伝説」そして「松浦佐用姫伝説」とされている。 「浦島伝説」の代わりに「竹取物語」を挙げる場合もある。
宣化2年 (537年)、朝鮮半島出兵のため唐津に立ち寄った大伴狭手彦 (おおとものさでひこ) と佐用姫は恋に落ちる。
大伴狭手彦の船出の日、佐用姫は鏡山から遠ざかる船に領巾 (ひれ) を振り続け、名残が尽きず、船を追いかけ、松浦川の川岸の岩 (佐用姫岩) に足跡を残し、呼子の浦で名前を呼び、さらには加部島の天童山に登る。
しかし海原に船影はなく、佐用姫は悲しみに暮れ、7日7晩泣き明かして石 (望夫石) になってしまったという。
佐用姫が呼子の浦から名前を呼んだことより、「呼子」という地名になったといわれている。
田島神社は松浦党の海賊団や、玄海の漁師たちが海上の危機にあった折に、救いを求めた宗像三女神 (田心姫尊・市杵島姫尊・湍津姫尊) を祀り、玄海の海上守護の神として知られている。
源頼光が寄進した鳥居、元寇の際の碇石や、豊臣秀吉が名護屋在陣の時に使用したといわれる太閤石、松浦の武士たちが寄進した武具などがある。
松浦佐用姫伝説 を訪ねてきた人の心を打つ、『夫恋ひ』の万葉歌碑もある。
『萬葉集』 第五卷
松浦縣佐用姫の子が 領巾振し山の名のみや 聞きつつ居らむ
遠つ人 松浦佐用姫 夫戀に 領巾振りしより 負へる山の名
山の名と 言ひ繼げとかも 佐用姫が この山の上に 領巾を振りけむ
萬代に 語り繼げとし この嶽に 領巾振りけらし 松浦佐用姫
海原の沖行く船を 歸れとか 領巾振らしけむ 松浦佐用姫
行く船を 振り留みかね 如何ばかり戀しくありけむ 松浦佐用姫
風說に聞き 目には未だ見ず...
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