「鬼日向」水野勝成、刈谷藩/初代藩主の城跡、家康生母/於大の方由来の地と歴史的にはワクワクする内容の刈谷城(別称/亀城)だったのですが😰 何となく堀が変な色の池、本丸跡が少し高台で公園・散策地、築50年の十朋亭がポツンと、今は桜の名所「亀城公園」。 周りに市民体育館・野球場・小学校・利用者の駐車場だらけ、更に不相応な歴史博物館、その間にある木の繁っただけの公園、ここは本当に憩の場?
「城跡」としては壊滅的、本当に殆ど何も残ってない刈谷城址、驚きました😥 明治以降の所有者変遷、払下げ時に建造物から石垣まで無くなり、戦時中に対空砲陣地&...
Read more刈谷城は天文2年(1533年)今川方の豪族だった水野忠政によって築城。 徳川家康の母である於大の方の実家として有名で、於大の方は刈谷城から岡崎城の松平広忠に嫁ぎますが、父忠政の死後、兄水野信元が今川氏を離れ織田氏についため松平氏を離縁されることになります。 ※幼い竹千代(家康)から実母が離れてしまうことに。 離縁後刈谷に戻り久松氏に再嫁するまで城近くの椎の木屋敷に住んでおり現在この地には「於大の方由緒地の碑」が建っています。 ちなみに水野信元は後に佐久間信盛の謀略で(諸説あるが)信長と家康に殺されることになります。 尾張と三河の境で大変苦労した水野家はその後信元の弟忠重の時代に刈谷に戻り、江戸時代は忠重の子水野勝成が刈谷藩を立藩しました。 現在は「亀城公園」として整備されていますが、建物は廃城後に全て取り壊されてしまいました。 尚、江戸時代の絵図を参考に櫓や門を復元...
Read moreあまり昔の痕跡を留めていないと思います。石垣も全く残っていませんし…もっとも推定復元模型や江戸時代の絵図を見ても、天守は勿論、建物もあまりないし、石垣も門や櫓といった重要な部分にだけに築かれたようで主に土塁を使った城だったようです。因みに刈谷城の推定復元模型は刈谷市歴史博物館、刈谷市郷土資料館、更には十朋亭で見ることができます。しかし細部において少し違いがあるのがいささか気になりますが。 説明板によると、現在、刈谷市は城の整備計画を進めているようです。本丸を中心に門や櫓を復元するようですが、久々に訪ねてみると以前とあまり変わっていないように思われます。整備計画はちゃんと進んでいるのでしょうか?もしかしたら、近年のコロナや物価高であまり進んでいないのかもしれませんね。 しかしいずれにせよ、老婆心ながら申し上げますと、整備計画は西尾城や駿府城を参考に...
Read more