とかく皇位継承に問題があったとされる継体天皇の次男にあたり、先代の安閑天皇の同母弟にあたる宣化天皇陵とされる。父である継体天皇が思いもよらず皇位を継いだ為、越前に居た兄である安閑天皇が呼び出されたが高齢の為、直ぐ崩御し、次いで宣化天皇も越前から呼び出され即位したと言う慌ただしさである。しかし宣化天皇も高齢での即位であったので、直ぐ崩御したと言う。記紀の記載も安閑、宣化両天皇に関しては非常に簡素な扱いの為、次代の欽明天皇と、安閑、宣化、両天皇との間で、二朝並立の次代があったのでは?ともされる。実際、安閑、宣化天皇にの子息は皇位を継げていない。恐らく欽明天皇をバックアップした蘇我氏によって排除されたのてあろう。常識では考えられない継体天皇の即位は朝廷そのものも自体が混乱していたと思われる。そのような宣化天皇であったので御陵もまともに製造されたのかも...
Read more「畝傍の道」 巻一の三の二 橿原市鳥屋町33-2
高松寺を経由されても、戸毛久米線から直接お立ち寄りになられてもわかりやすい位置に鎮座されます。それぞれ案内板か常用のえんじ色の道標が誘導し、目の前にすぐい広がります。
高松寺を経由されると、あぜ道のような草むらの小径を池沿いに歩みをとることができるので撮影に興味のある方にはお薦めです。村出身の戦役者の碑や一風変わった石道標があります。
次は陵の東縁に沿いながら地の小径を辿って「桝山古墳」へと向かいます。途中、春日神社や弘誓寺を経由...
Read more2024年8月16日に参拝しました。 継体天皇の第2子で28代天皇となった宣化天皇と皇后の橘仲皇女が合葬されている墳墓です。継体天皇の第1子で、先代27代安閑天皇に子供がおられなかったため、同母弟の宣化天皇が、宣化元年536年に69歳の高齢で即位されました。宣化4年539年に崩御され、この陵墓に埋葬されたと考えられています。墳丘長1...
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