新沢千塚古墳群(にいざわせんづかこふんぐん)。 この古墳群は、直径10mから15mの円墳を中心に前方後円墳や方墳を含む約600基からなる。築造時期は4世紀後期~6世紀後期。 周囲は新沢千塚古墳群公園として整備されている。(駐車場有) 密集した小型古墳が独特の景観を見せており、その異様とも写る風景が特長。 被葬者については謎が多く、大陸色の強い豪華な副葬品が出土しており、そのミステリアスさが人気となっている。
以下、日本経済新聞より抜粋。 「大和三山の一つ、畝傍山(うねびやま)の南西に広がる丘に、ミステリアスな貴人が眠っていた古墳がある。繊細な細工が目を引く黄金の耳飾りや指輪、澄んだコバルトブルーのガラス皿。~中略~ 特に注目を集めたのが、126号墳から見つかった金銀やガラスなどの副葬品で、国重要文化財に指定された。~中略~ 枕元には透明なガラス碗(わん)が青いガラス皿に重ねてあった。これらは今年7月、東京理科大などの蛍光X線分析でササン朝ペルシャ由来の品と裏付けられた。 まさしくシルクロードの終着点とも呼ぶべき豊かな国際色。ただ「被葬者の正体が、何ともつかみにくいんですよ」と同博物館学芸員の石坂泰士さんは語る。 一番の謎が、古墳の小ささと副葬品の豪華さが釣り合わない点だ。例えばガラス碗の類例は、大山古墳(仁徳陵、堺市)や高屋築山古墳(安閑陵、大阪府羽曳野市)など巨大古墳から出土したと伝わる品くらいしか見当たらない。~中略~ どの氏族の墓域かは蘇我氏、東漢(やまとのあや)氏、大伴氏など諸説ある。海外の品と国産品が出土しており、渡来人と倭(わ)人が入り交じっていた様...
Read more日本には約16万の古墳が確認されていますがその多くは此方のような群集墳です。古墳時代の北九州から畿内では大型の前方後円墳数基と尾根伝いに並ぶ墳墓は普通に見られる風景だったと思われます。 4世紀末〜6世紀末と早い時期の古墳群で出土品も車輪石や武具、ガラス皿などが出土しています。小さな円墳からペルシャや中国など海外からもたらされた副葬品が出土して有名になりました。
約600基程の群集墳で公園はその一部でしかありませんが密集した墳墓は他では中々見られません。5分の1程が調査されていてほぼ埋葬部分のみです。円筒埴輪や家形埴輪なども見つかっているので埴輪まで復原するとまた違った光景が広がっていたことでしょう。
大和王権のお膝元で気になるのが誰の墓かですが結論的には分からないそうです。
ただ大伴氏の邸宅跡とされる築坂邑伝承地が古墳群の東隣だったり、当時は朝鮮半島の任那の運営を任されていたので海外からの輸入は容易にできるなど大伴氏との関係はありそうです。
日本一巨大な方墳と少し北の大和八木の西一帯は蘇我氏を本拠としていた所でも有るし公園の範囲の古墳の多さは単純に作りやすかっただけにしても尾根伝いに一列に並ぶ一般的なものとも違い限られた範囲に築いた感が有り、吉野ヶ里遺跡の墳墓のように道の両側に血縁者単位で埋葬した共同墓地のような所だった方が...
Read more橿原神宮前駅の西2kmほどの丘陵地帯にある古墳群。ここには全部で600ほどの古墳が集まっているというので、まず驚きます。 公園入口から丘の上に続く遊歩道をたどると、小山のような墳丘がいくつも並んでいるのがわかります。これらの一つ一つが古墳で、その間を縫うように道がつけられています。ちょっと他の場所では体験できない不思議な空間ですね。 古墳のうちのいくつかからは副葬品が発掘され、そのレプリカの一部は博物館(歴史に憩う橿原市博物館)に展示されています。古墳の手前にも写真パネルが掲示されていますが、装身具などは驚くほど精巧なつくりで、これまた驚きです。
現在では古墳群の真ん中を道路が通り、また周辺では宅地や農地に変わったところもあって、古墳群の完全な姿は失われてしましました。 それでも遠い時代に思いをはせながら古墳の間を歩き回るのは楽しいですね。 なお、公園内の道は多少複雑でアップダウンもあるので、散...
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