Located in the countryside, Kagoshima shrine can be reached by foot (20 min from the train station) or by car. It might not seem very convenient, but I think that's totally worth your walking time : the main torii gate, huge, will be waiting for you on the middle of the road and will probably leave you speechless :) As for the rest, well, this shrine is very promising and you should definitely go there if you can ! The entrance is located in town, but the city will slowly fade away as you enter Kagoshima shrine. There, you will be surrounded by huge trees, ancient stones, ponds and silence. If you take youre time, enjoy nature and want to see every single area, I think you can easily stay for at least one hour. I didn't expect that at all when I first came here, and this shrine is still one of my favourite ! If you can, you should go there at the end of February, since an old traditional matsuri (the hatsu uma) is...
Read more2023年4月9日(日)と2023年4月12日(水)に参拝し御朱印をいただいた。 初回は夕方のため社務所が終了していた。後日、御朱印をいただきに再度訪れた。 「鹿児島神宮」の御朱印は右側に「大隅国一之宮」(直書き、初穂料300円)と書かれ、「鹿児島神宮」と「大隅国一之宮」の二つの朱印が押されている。 鹿児島神宮の御祭神は「海幸彦、山幸彦」。 無料の広い駐車場が有り、神殿まで比較的近いので高齢者で何とか行けると思う。トイレまでの距離は結構あり、あまり綺麗じゃなかった。 後方には高千穂峰が聳えている。神宮と山などの位置関係が大事だと言う。 2022年(令和4年)2月9日に国宝に指定さた。この日は霧島神宮と同じ指定日です。 2023年4月9日は、自然農法農場EMふれあい館、さくらさくら温泉、霧島神宮、霧島ふもとの駅、天降川(川の流れが急)に沿って「鹿児島神宮」に夕方参拝したが時間が遅く社務所は閉まっていた。 2023年4月12日カーナビに「鹿児島神社」と入力、鹿児島市内の神社に着き、名前間違いに気づき「鹿児島神宮」と修正し、たどり着き御朱印をもらえた。
Kagoshima Jingu Shrine I visited Kagoshima Jingu Shrine and received a goshuin stamp. The first day was in the evening, so the shrine and shrine offices were closed. The next day, I visited again to receive a stamp. The goshuin of
Kagoshima Jingu'' has two stamps: Kagoshima Jingu'' and
Osumi Kuni Ichinomiya.'' The deity enshrined at Kagoshima Shrine is ``Umisachihiko, Yamasachihiko''. There is a large free parking lot, and it is relatively close to the temple, so even elderly people can walk there. It was quite a distance to the toilet and it wasn't very clean. Behind the shrine is Mt. Takachiho. It is said that the location of a shrine, such as the location of the mountains and the sea, is important. Even few Japanese people understand the relationship between this shrine, the mountains,... Read more鹿児島神宮(かごしまじんぐう)。 式内大社(大社)、大隅国一宮。旧社格は官幣大社。 かつては「大隅正八幡宮」「国分八幡宮」などとも称されていた。
資料によると、 創始は社伝によると遠く神代とも、あるいは「神武天皇の御代に天津日高彦穗穗出見尊の宮殿であった高千穂宮を神社としたもの」とされる。和銅元年(708年)に現在地に遷座され、旧社地には現在摂社石体宮(石體神社)が鎮座している。当社の北西13kmの地点には、穗穗出見尊の御陵とされる高屋山上陵がある。
欽明天皇5年(544年)に八幡神が垂迹したのもこの旧社地とされる。当社を正八幡と呼ぶのは『八幡愚童訓』に「震旦国(インドから見た中国)の大王の娘の大比留女は七歳の時に朝日の光が胸を突き、懐妊して王子を生んだ。王臣達はこれを怪しんで空船に乗せて、船のついた所を所領としたまうようにと大海に浮かべた。船はやがて日本国鎮西大隅の磯に着き、その太子を八幡と名付けたという。継体天皇の代のことであるという。」との記載がある。なお、白井宗因が記した『神社啓蒙』では登場人物が「陳大王」と記されており、娘の名前が八幡であるとされている。 八幡神は大隅国に現れ、次に宇佐に遷り、ついに石清水に跡を垂れたと『今昔物語集』にも記載されている。
大隅正八幡の正の字が示すように、鹿児島神宮は八幡宮の根本社だともいわれている。伝承ではかつて国分八幡と宇佐八幡との間に、どちらが正統な八幡かを巡って争いが起き、宇佐八幡は密かに15人(14人とも)の使者を遣わして国分八幡を焼かせたという。その際、燃え上がる社から立ち上る黒煙の中に「正八幡」の字が現れ、それを見て驚き怖れた使者達は溝辺の地まで逃れてきたが、神罰を受けたのか次々と倒れてその数は13人に及んだ。その後土地の人々は異境に死んだ者たちを憐れみ、それぞれが倒れた場所に塚を盛り霊を慰めたが、その数が13であったことから、そこを十三塚原と名付けたといわれている。この十三塚原は鹿児島県の国分平野北方にあり、その北東部には鹿児島空港やこの伝承に基づく十三塚原史跡公園がある。この宇佐八幡の使者に関する伝承には、上記と内容の異なる伝承が他にもいくつかある。 平安時代に宇佐八幡が九州五所の八幡別宮を勧請したのに伴い、当社に八幡神が合祀されたともされている。それ以降、正八幡宮・大隅正八幡宮・国分八幡宮などとも称される。 とあります。
主祭神: ・天津日高彦火火出見尊(あまつひだかひこほほでみのみこと、山幸彦) ・豊玉比売命(とよたまひめのみこと) - 天津日高彦火火出見尊の后神。 相殿神: ・帯中比子尊(なかたらしひこのみこと、第14代仲哀天皇) ・息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと、神功皇后) - 仲哀天皇皇后。 ・品陀和気尊(ほむだわけのみこと、第15代応神天皇・八幡大神) ・中比売命(なかつひめのみこと、仲姫命) -...
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