霧島市指定史跡富隈城跡 島津義久が隠居した文禄時代(1593年〜)に築城した為、鹿児島には珍しい石垣を巡らせた平山城です。現在は周囲の石垣が残っており、一段高い北側には稲荷神社が祀られ南側は無線中継施設になっています。 【歴史】 文禄4年(1595年)豊臣秀吉により強制的に隠居させられた島津義久はそれまで居城としていた内城を退去する事態に追い込まれ、急遽薩摩国と大隅国の境にあり、港が近くにあるこの地に屋形を築いた。これが富隈城である。 慶長9年(1604年)島津義久は隣の国分に舞鶴城(国分城)を築いて移り、富隈城は廃城となりました。
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Read more島津義久が秀吉に降伏して龍伯と号し国分郷を私領とした隠居後の築城 文禄4年鹿児島より移住し慶長9年に国分新城に移るまでの10年間在城した。 周辺は石田三成の所領で秀吉にたいして遠慮を表していると考えられる。
野面積みの石垣に囲まれた平城で南北約250m、東西約150mの規模。 南には道路があり往昔、道の下まで海水が打ち寄せていたといわれる。 大手門は東南で東南角の巨石は加藤清正の寄進石といわれる。 (以上、日本城郭体系18参考)
2020年訪城ですが神社の駐車場があり少し上が...
Read more島津義久が築いた城で、城の外郭の石垣と、内郭に一部石垣が残っています。平山城と言われていますが、山部分は城というより、小山を城域に取り込んだだけみたいな感じで、山頂はせいぜい物見櫓が建つ程度の広さです。 南は桜島、北は霧島連山を眺められる等、景色は良いです。 メインの館は、現在電波塔になっている辺りかな、と思います。旧薩摩藩で数少ない石垣造りの城ですが、石垣には草が生い茂り、駐車場の案内もなく(城内が運動公園扱いなので、稲荷神社側に駐車場が少しあります)、由緒ある城なのに...
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