2022年9月28日 初訪問
境内には大きな鯉が泳ぐ綺麗な池が あります😺
宮司さんは不在の神社ですが、富士塚も あり本殿の彫刻も立派で見応えを感じ ました。
祭神は弟橘媛(おとたちばなひめ)です。
日本書紀によれば
東征(とうせい)に出た日本武尊は
(やまとたけるのみこと)
相模国から上総(かずさ)の国へ海を渡って いる途中で海神の怒りを買い嵐にあって 船が漂流します。
何故なら日本武尊の一言が海神の怒りを 買ってしまったから
こんな小さな海、簡単に渡る事が 出来よう😤
そのように豪語した事が日本武尊一行の 仇となりました😔
嵐を起こした海神は海を鎮める代わりに 弟橘媛に海神に従うように要求をします。
日本武尊の身を案じ海神の怒りを鎮める ため弟橘媛は海に身を投げて海神の怒りを 鎮めたといいます😿
数日後、海に身を投げた姫の袖が この近くの海岸に漂着。
※櫛とも言われる説もあり
この袖を納めた場所が吾妻神社⛩の 始まりと伝わっています😺
余談になりますが、この吾妻神社から 南に1.1km離れた
八剱八幡神社(やつるぎはちまんじんじや) は夫である日本武尊が御祭神です😺
※弟橘媛を失い悲しみに暮れる日本武尊が 詠んだ和歌が残っています。
君去らず 袖しが浦に立つ波の その面影を 見るぞ悲しき
木更津は君去らずが転じたもの
袖ヶ浦は袖しが浦が転じたものと 伝わっています😺
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🟧 日本武尊 12代 景行(けいこう)天皇の 皇子(おうじ) 東国東征を行った古代の英雄
🟧 弟橘媛 日本武尊の妃
🟧 日本書紀 奈良時代の西暦720年に 完成した日本の最も古い歴史書。
🟧 東征 (とうせい)...
Read more祭神は日本武尊の妃だった弟橘媛命です。
弟橘姫命の生誕地は忍山神社(三重県亀山市)です。第12代景行天皇の皇子である日本武尊の東征に同道して東国に赴きました。
一行が相模国走水(横須賀市)から房総半島へ船で渡ろうとした際、途中で暴風雨に巻き込まれました。
船が転覆寸前となった時、弟橘姫が「いま風が起こり波が荒れて御船は沈みそうです。これはきっと海神のしわざです。賎しい私めが皇子の身代りに海に入りましょう」と海神の怒りを静めるため、身代わりとなって入水しました。
このおかげで、日本武尊は無事に浦賀水道を渡り、上総に着いたといわれます。
漂着して数日後、浜辺に身を投じた姫の着物の袖が流れ着いていました。
日本武尊はそれを大切に納めて祠を建て、これが吾妻神社の起源といわれています。
昔、この辺りは吾妻の森と呼ばれ、澄んだ池があったといわれています。
日本武尊一行はその池の水で喉を潤し、水面を鏡の代わりにして身なりを整えたとも、弟橘媛命愛用の鏡を沈めた所とも伝えられ、以来その池は「鏡ヶ池」と呼ばれました。現在の鏡ヶ池は古い池を復元したものです。
この地は日本武尊が詠じたとされる
「君去らず 袖しが浦に立つ波の その面影を 見るぞ悲しき」
に由来し、「木更津」となり、袖ケ浦や君津の地名もこの歌を由来としています。
社名の吾妻も日本武尊が自分の吾が妻である弟橘媛命への想いが込めら...
Read more昔、ここを吾妻の森といった頃、森を中心に小池があり、これを「鏡ヶ池」と呼んで居りました。 これも日本武尊の悲しい物語に由来するものと思われますが、つまびらかではありません。 祭神は弟橘姫で、江戸砂子に「君去津吾妻大明神は即ち立花姫の霊社也」とあり、社伝にも日本武尊御東征のみぎり...
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