この地は藤原氏の始祖、藤原鎌足伝説が残り、お寺の開基もまた古代のロマンを感じます。
第31代用明天皇の御代(585~587)、徳義という僧侶がこの地で修行していると、ある日雷鳴が頻発しました。
里人たちは世の変化の兆して恐れましたが、徳義はこれを機に山に籠りました。
そこへ老翁が現れ、「衆生済度のために飛来した観音をここに安置した」と古木を指し、姿を消しました。
徳義がその梢をみると四寸(約12cm)ほどの観音像が安座していたといいます。
徳義は里人とともに堂を建立、この観音像を安置したことにこのお寺は始まりました。
この観音像は行基が刻んだ観音像に納められているといいます。
「はるばると 登りて拝む 高倉や 富士にうつろう 阿娑婆なるらん」
観音に祈願すると如来や菩薩や明王が協力して導いてくれるとの意の歌を徳義は詠みました。
昔、この里の有力者だった猪野長官(いのうちょうかん)は藤原鎌足の祖父とされる人物です。
彼は40歳になっても子宝に恵まれず、高倉観音に願いをかけたところ、一女を授かり、予与観(しょかん)と名付けました。
心清く親切な娘に成長したといいますが、器量が悪かったため、良縁がありませんでした。
彼女は自分が生を享けた経緯を父から聞かされ、同じ様に高倉観音にすがってみました。
すると「鹿嶋に行って、日天を拝みなさい」との夢告があり、男子を授かりました。
これが「鎌子」、後の藤原鎌足(614〜669)であると言われています。
鎌足はその後、高倉観音を深く崇拝し、七間四面の本堂や阿弥陀堂、三重塔、鐘楼などを建立しました。
境内には大化5年(650)7月に鎌足が腰を下ろして休息したと言われる腰掛石があります。
鎌足が着替えをして衣服を杖にかけましたが、そのまま杖が忘れられました。その杖が根付いて桜の花をつけたものが鎌足桜であるといわれます。
木更津における鎌足伝承は「大鏡」の鎌足鹿嶋出身説に対応する母方の大伴夫人の物語となっています。
木更津周辺の旧地名は馬来田(まくた)で、大伴氏には大伴馬来田という人物がおり、飛鳥とのつながりが指摘されています。
〜藤原鎌足〜 飛鳥時代の貴族・政治家で、大化の改新の中心人物であり、改新後も中大兄皇子(天智天皇)の腹心として活躍し、藤原氏繁栄の礎を築きました。
推古天皇22年(614)に生誕し、父は中臣御食子、母は大伴智仙娘です。
出生地は大和国高市郡藤原(奈良県橿原市)というのが定説ですが、大和国大原(奈良県明日香村)や常陸国鹿島(茨城県鹿嶋市)とする説もあります。
早くから中国の史書に関心を持ち、隋・唐に留学していた南淵請安の塾で儒教を学び、蘇我入鹿とともに秀才でした。
第35代皇極天皇3年(644)に中臣氏の家業であった祭官に就くことを求められたが固辞しました。
蘇我氏体制打倒の意志を密かに固め、擁立すべき皇子を探し始めました。
初めは軽皇子(後の第36代孝徳天皇)に近づき、次に中大兄皇子に接近しました。
蘇我一族内部の対立に乗じては蘇我倉山田石川麻呂を味方に引き入れました。
皇極天皇4年、飛鳥板蓋宮にて中大兄皇子や石川麻呂らと共に、当時政権を握っていた蘇我入鹿を暗殺、入鹿の父の蘇我蝦夷を自殺に追いやりました(乙巳の変)。
この功績から、軍事指揮権を握り、外交使節として唐や新羅の対応もしました。
その後、大化改新の推進派である中大兄皇子の側近として、保守派の右大臣の蘇我倉山田石川麻呂と対立し、大化5年(649)に石川麻呂を失脚させたあと勢力を伸ばしました。
天智天皇8年(669)10月、馬上から転落して背中を強打した後に天智天皇が見舞うと「生きては軍国に務無し(私は軍略で貢献できなかった)」と語ったといいます。
これは白村江の戦いの敗北責任を痛感していたためといわれます。
10月16日、天智天皇から「藤原」の姓を賜った翌日に逝去しました。享年56。
元々は中臣氏の一族で初期の頃には中臣鎌子と名乗り、その後、鎌足に改名。そして臨終に際して藤原姓を賜りました。
生きていた頃の彼を指す場合は「中臣鎌足」を、「藤原氏の祖」としては...
Read more〔高倉観音・平野山 高蔵寺/ Takakura Kannon/ Kouzouji Temple 〕 祈願すると 子供を授かるという、ありがたい観音様を祀る古刹。大化の改新につながる逸話もあります。
《1400年を超える歴史》 かれこれ1400年前に、徳義上人のもとに、観音菩薩像が伝えられました。
この観音様のお力は、凄いらしい。お祈りすると子供が授かる、その賜物があの藤原鎌足でしたので、その霊力には感服しました。
《藤原鎌足公の寄進》 藤原鎌足は 大化の改新 を進めたことで知られますが、このお寺には建物を寄進するど、感謝の気持ちを表しています。
ご本尊は秘仏とされ、ご開帳の時でないと参拝できません。
本堂の下には「極楽浄土めぐり」展示があります。人間は死ぬと どんな世界へ行くのか実感できます。
アクセス/JR内房線木更津駅からバス25分
About 1400 years ago, Buddhist image, Kannon Bosatu was shrined here. This Buddhist image had relationship with the birth story of Fujiwara Kamatari, famous political leader.
Transportation/ From JR Kisarazu Stn,...
Read more読み…ヘイヤサン コウソウジ(タカクラカンノン) 坂東第三十番霊場 かずさアカデミアパークに在り
`25.3(土)曇
本尊は拝顔叶わず 本堂の階段上り周囲を一周すると壁に罰当たりな心無い落書きが多くあり
観音浄土巡り という死後の世界の疑似体験ができるのだそう
拝殿後にご住職とすれ違い挨拶をし合ったが感じの良い雰囲気だった
御朱印を頂きに行くと、達筆で書いて下さった...
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