One of the top places I have been in Japan. This temple has a one-of-a-kind original example of a nine-Amida statue hall of a kind common to the late Heian Period almost 1000 years ago. There is also a pagoda housing another ancient statue of Yakushi. the Buddha of healing. The entire garden centered around a placid pond represents a journey through the western paradise of Amida Buddha. The garden was extensively restored in the 1970s to a likeness of its state in the Heian Period. There is access by bus to Nara or paid parking. It's becoming a bit tourist-oriented but is still big enough to ensure some quiet. Currently, long-term restoration is taking place, so best check...
Read moreちょっと昔に拝観。
浄瑠璃寺 名前さえ知らなかったが、昨年、奈良博の南山城展で、修理が終わった阿弥陀佛2体を見て知った。 普段平安仏には関心が無い(自分的には鎌倉>天平・白鳳>室町>平安)といった感じなのだが、身近で観る阿弥陀はなかなかの大きさ。 光背の裏側も見応えがあった。 展示物案内の、みうらじゅんが「僕は9体揃ったところをロイヤルストレートフラッシュと呼んでいるんですよ」にウケた。 今回奈良博→トーハクを経て、故郷に戻ってきたという。 海山住寺から木津川を渡り、地図からは想像もできなかった雄大な景色の中を走る。やがて道は古い町並みの中へ。 そして山に入り、極端に狭くなる。 浄瑠璃寺前は小さな駐車場になっており、一日中そこに座っているであろう老婆に300円渡して参道へ。 正直言って、海住山寺で相当落ち込んでいた。 そう良い物が見られるとは思っていなかったのだ。 が、門をくぐると、そこは桃源郷だった。 美しい池を中心に、東には、丹塗りも美しい薬師を本尊とする三重の塔。西には九体阿弥陀を納める本堂が。 これほど理想的な配置の寺を、観たことが無い。 そして本堂の美しさよ。 均整がとれ、大きすぎもしない。小さすぎもしない。他を圧する威圧感もなく、ただ自然につつましく佇んでいる。 ただただ見とれるばかりでした。高松の掬月亭よりこちらの方が住みたい家ナンバーワンになりました。 小さな池を一周するだけで観終わってしまう境内なのだが、なんというか、飽きさせない。どの角度から観ても絵になってしまう。写真にはならないけどね。 そして本堂へ。 ついにロイヤルストレートフラッシュが! …薄暗い本堂の中で、一つ一つの阿弥陀は小さく見える。奈良博で観た時はあんなに大きかったのに。 センターの阿弥陀さんは流石に大きくて金ピカで存在感があるんだけど、ううむ...。 と思っているうちに、目が慣れてきた。 一つ一つの阿弥陀の顔がすべて違う。 死んだとき、このなかのどれかの阿弥陀が救いに来て下さるそうで、「あれ、こいつは嫌だなぁ」とか「あ、この人ならいいかも」なんて観ていると時間がどんどん過ぎていく。 最後に振り返ると、ロイヤルストレートフラッシュ!という言葉がまさにぴったりと来る、後から尾を引く仏像群。もう一度丁寧に見まわす。 いやぁ、素晴らしい場所でした。死ぬまでに観られてよかった。 あ、吉祥天が特別拝観で出てましたが、あんまり思い入れが無いのでまぁスルー。 不動明王三尊像は、目の光り方が異様。高田さん絶対好きだと思う。 しかしこの本堂はいいなぁ。大きさは僕の家のちょうど倍くらいでしょうか。 次に建てる家の構想を練りながら、「本当に良いものを見た」という多幸感を胸...
Read more小田原山法雲院浄瑠璃寺といい真言律宗のお寺になります、別称で西小田原寺や九体寺とも呼ばれています。 御本尊は九体阿弥陀仏(国宝に指定)と薬師如来(当初の本尊:重要文化財に指定)の二体になります。 前から一度は訪れてみたいと思っていた浄瑠璃寺にやっと願いが叶いました、国宝指定の仏像や重要文化財指定の仏像が沢山あるお寺になります。 ❰浄瑠璃寺流記事(るきのこと):国の重要文化財に指定❱十四世紀の記録で浄瑠璃寺の唯一のよりどころとされるもの、流記事によれば永承二年(1047年)に義明上人により本堂が建立され寺の檀那は阿知山太夫重頼公であったとされる。 これら二人の人物ついてはこの「流記事」の記載以外にほとんど知られるところがない人物で、義明上人については「流記事」から当麻(現奈良県葛城市)の出身であることが知られるのみである。 阿知山太夫重頼公については他の記録の「興福寺宮務牒疏」に佐伯氏とありますがこれも定かではなく当地方の豪族とみられています、この永承二年(1047年)が浄瑠璃寺の創建年とみなされています。 一方、寺の縁起では浄瑠璃寺の創建時期については天平十一年(739年)聖武天皇の勅願により行基が開創した説や、多田満仲公が天元年中(978年~983年)に開創したという説がありますが何れも信憑性は薄いとみなされています。 その後の浄瑠璃寺は建造物が増えていきます久安六年(1150年)には摂政藤原忠通公の子覚継(後の恵心)が寺を整備する際に池を築造した、この池はその後さらに整備され極楽浄土を表すものになり梵字の阿字をかたどったと云われる宝池を中心に西に本堂(九体阿弥陀仏を安置)東に三重塔(薬師如来坐像)を祀るという浄土庭園になりました「国の特別名勝」に指定されています、建仁三年(1203年)には楼門・経蔵・閼伽井を上棟しています。 浄瑠璃寺は中世から近世にかけて法相宗興福寺一乗院の末寺であったが明治初期の廃仏毀釈の混乱期に真言律宗に改宗し奈良西大寺の末寺となりました。 本堂は嘉承二年(1107年)に再建された建物で国宝に指定されています、奥寄りに横長の須弥壇を設けて九体の阿弥陀如来像を横一列に安置していて中央に大きな中尊を配し両脇に四躯づつ等身大の阿弥陀如来像を配置しています、本堂は平安時代末期の創建の阿弥陀堂になります。 ❰浄瑠璃寺の国宝❱ 阿弥陀堂(本堂)・木造阿弥陀如来坐像九躯・三重塔・木造四天王立像四躯(広目天と多聞天の二躯は国立博物館に寄託中) ❰浄瑠璃寺の重要文化財❱ 木造薬師如来坐像(三重塔本尊)・木造吉祥天立像・木造地蔵菩薩立像二躯・木造不動明王立像及び二童子立像・木造馬頭観世音菩...
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