岡田国神社。国と書いて「かも」と読みます 少し前まですぐ真下にある神社跡にありました。いにしえは御藪の「岡田國神社舊蹟地」にあったとか。國は「恭仁」と同じ読みから恭仁京(740年)と関係のある神社のようです。 江戸時代は徳川幕府と密接だったようで、社標には京都守護職であった会津藩主松平容保の名前があったりますよ。幕末好きの方は探してみてください。
あと、この岡田國神社の特徴は参拝道が高架道路だということです。少し前までは高架道路は2つありましたが、一つは最近バイパス工事で取り壊してます。実は取り壊した側の高架の下、今はバイパス工事で盛り土されてますが、そこには「岡田國遺跡」という物があり、恭仁京の大通りと官衙跡が発掘されてました。隣の畑にいたおじさんに聞くと、遺跡はもうバイパスの下だとか…。見たかったですが残念。
官衙、つまり今の岡田國神社の場所は、もともとは神社ではなく役所である「山背国府」が置かれていた場所になります。例えれば、恭仁宮大極殿あたりが霞ヶ関、このあたりが新宿の都庁にあたる関係です。
なお、岡田国神社には木津天神宮神事記録(岡田国神社文書)という左から右に書き継ぐという非常に珍しい書き方をした戦国時代の文書も伝わっています。そこには近くの木津城にかかる記述もありり、京都府指定文...
Read more☆1も付けたくないです。神社のクチコミに悪いクチコミを書くのは色々と怖いですが、被害に合う方が減ればと思い書きます。新築で家を建てるにあたり氏神様であるこちらに地鎮祭をお願いしました。まず誰も連絡をしていないのに昨日電話があって時間変更された。来たら誰もいないから腹立つと工務店の方に文句を言っておられました。また、ご自身で雨の日以外はテントは不要だと言っておられたにも関わらず、テントがないから暑いしやりたくない。と。元々高さのある土地で、土を触る前に地鎮祭はした方がいいという助言を別の方から頂いたのでそのまま行うことになっていました。登るのはたしかに少し大変なのですが、階段作ってないのも気に食わないとキレて1時間ずっと文句を言って地鎮祭をせず片付けも工務店さんと私たちにさせて、胸糞悪いから帰ると言い帰られました。確認を取って行っているのに、文句を言われて挙句の果てには地鎮祭も中止。気分が悪いのはこちらです。 忙しい中仕事も休み予定を合わせ、親戚も来てくれているのに仕切り直しとなりました。 どれだけ立派な神社でも、神主様がこのような態度だと氏神様としてお参りするのも嫌です。言うことが2転3転していたので認知症なのかと思いますが、本当に迷惑ですし残念...
Read more国道163号線から見て鳥居の位置と本殿の位置がずれていて何故なのか知りたくて訪れました。 約50年前まで話が遡り、あの周辺一帯が開発のため国が土地を買い占めた結果、今の位置に移動したような感じです。 本殿は綺麗に整備されてい大きく立派でした。その横から依然あった本殿に向かえます。かなり古い社が3つあり小さいですが奈良春日大社を真似た構造のようです。 古い方も歴史を感じることが出来て見ごたえはありますよ。 全く別件ですがJRがすぐ横を走るので鉄道ファンにとっても良い場所だと思います。 現在新たな道路が建設中ですが、ここの神様は余...
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