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Koga Castle — Attraction in Koga

Name
Koga Castle
Description
Koga Castle was a Japanese castle located in Koga, Ibaraki Prefecture, Japan. During the Muromachi period, Koga was the seat of the Kantō kubō, under the Ashikaga clan.
Nearby attractions
Takami Senseki Memorial site
3 Chome-11-2 Chuocho, Koga, Ibaraki 306-0033, Japan
Shojoji
7-1 Otemachi, Koga, Ibaraki 306-0032, Japan
Yorimasa Shrine
9-4 Nishikicho, Koga, Ibaraki 306-0037, Japan
Mikuni Bridge
Kazo, Saitama 306-0016, Japan
Nearby restaurants
くるみの木
3 Chome-4-7 Chuocho, Koga, Ibaraki 306-0033, Japan
Kisaku
2 Chome-7-10 Honcho, Koga, Ibaraki 306-0023, Japan
Primavera
1-84 Nishikicho, Koga, Ibaraki 306-0037, Japan
New spicy kitchen
1 Chome-2-37 Chuocho, Koga, Ibaraki 306-0033, Japan
Akimoto
7-4 Nishikicho, Koga, Ibaraki 306-0037, Japan
Tochigiya
1 Chome-6-12 Chuocho, Koga, Ibaraki 306-0033, Japan
和風れすとらん 杉並
1 Chome-8-32 Chuocho, Koga, Ibaraki 306-0033, Japan
Matatabi Shokudo
Japan, 〒306-0023 Ibaraki, Koga, Honcho, 1 Chome−4−10 みらい蔵
Steak House Senri
1 Chome-4-13 Yokoyamacho, Koga, Ibaraki 306-0022, Japan
Musashiya
1 Chome-2-15 Yokoyamacho, Koga, Ibaraki 306-0022, Japan
Nearby hotels
Hotel Sansui
1 Chome-8-32 Chuocho, Koga, Ibaraki 306-0033, Japan
Hotel Tsugaya
2 Chome-1-8 Honcho, Koga, Ibaraki 306-0023, Japan
APA Hotel Ibaraki Koga Ekimae
1 Chome-21-12 Higashihoncho, Koga, Ibaraki 306-0013, Japan
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Keywords
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Koga Castle
JapanIbaraki PrefectureKogaKoga Castle

Basic Info

Koga Castle

3 Chome-10-56 Chuocho, Koga, Ibaraki 306-0033, Japan
4.2(66)
Open 24 hours
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spot

Ratings & Description

Info

Koga Castle was a Japanese castle located in Koga, Ibaraki Prefecture, Japan. During the Muromachi period, Koga was the seat of the Kantō kubō, under the Ashikaga clan.

Cultural
Scenic
Family friendly
attractions: Takami Senseki Memorial site, Shojoji, Yorimasa Shrine, Mikuni Bridge, restaurants: くるみの木, Kisaku, Primavera, New spicy kitchen, Akimoto, Tochigiya, 和風れすとらん 杉並, Matatabi Shokudo, Steak House Senri, Musashiya
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Takami Senseki Memorial site

Shojoji

Yorimasa Shrine

Mikuni Bridge

Takami Senseki Memorial site

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4.2

(60)

Closed
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Shojoji

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3.6

(26)

Open 24 hours
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Yorimasa Shrine

Yorimasa Shrine

3.5

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Mikuni Bridge

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Things to do nearby

Bonsai Tour & Experience at the Sacred Bonsai City
Bonsai Tour & Experience at the Sacred Bonsai City
Mon, Dec 15 • 10:00 AM
331-0804, Saitama, Saitama, Japan
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くるみの木

Kisaku

Primavera

New spicy kitchen

Akimoto

Tochigiya

和風れすとらん 杉並

Matatabi Shokudo

Steak House Senri

Musashiya

くるみの木

くるみの木

4.1

(28)

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Kisaku

Kisaku

4.0

(124)

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Primavera

Primavera

4.0

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New spicy kitchen

New spicy kitchen

4.1

(55)

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早川一彦早川一彦
22年NHK大河「鎌倉殿の13人⌋のその後~。 舞台は鎌倉から古河の御所、戦国時代へと続く!! かつて下総の國に、江戸、水戸に次ぐ規模と威容を誇った古河城。同館はその出城、諏訪曲輪跡地にあります。室町後期に鎌倉殿(鎌倉公方/鎌倉府)と関東管領との勢力争いから享徳(きょうとく)の乱が勃発。 第五代鎌倉公方の足利成氏公は室町幕府と対立後、鎌倉府は旗印の元、古河に拠点を移し古河公方(古河府)と称す。それは京都の応仁の乱を誘引、戦国時代の幕開けに~!! 当館は古河公方の歴史史料を豊富に展示。江戸幕府初代大老の土井利勝(どいとしかつ)公の拡張による古河城。 古河城出城諏訪曲輪跡地にお堀と土塁に、周囲の景観に溶け込む、吉田桂二氏設計の「古河歴史博物館」。ちなみに古河城三階櫓(天守)は信州松本城や松江城の天守閣とほぼ同じ高さ(25m)。その大きさが想像できます。 古河城は徳川将軍家日光社参時、江戸から岩槻、古河、宇都宮城の宿城でした。国宝で知られた隣接の武家屋敷、「鷹見泉石記念館」。こちらもぜひ。 展示コーナーのひとつに日本初の公害の原点、「足尾銅山鉱毒事件・田中正造と谷中村」の展示資料があります。江戸時代、現渡良瀬遊水池に存在した谷中村は旧古河藩。現在は栃木県に属し谷中湖は谷中村を忘れじと!!日本初の公害「足尾銅山鉱毒事件⌋。 その鉱毒対策として県や國は村を強制破壊廃村!! それを新たな解決策を持って東奔西走したのが田中正造帝國議員。物事や歴史は、知らねば表面的な事しか感じず、その事柄を知れば新たな疑問質問が湧く~!! 田中正造翁の言葉。 「魂は常に小中の川原や林の中をかけめぐり⌋(小中は生誕地)。 渡良瀬遊水地。訪れる人々も少ない「谷中村史跡ゾーン」。現在も移転を拒否した村民僧侶の御遺体が魂となり祭祀継続。が、現在の埋葬法は「死体埋葬許可証」。 死体とは物体(国語辞典)、為に私達は魂にもなれません。適切な表現は「御遺体納骨許可証⌋かと思います。 ちなみに遺体とは故人への尊厳だそうです。 昔は博物館周辺も谷中村跡地も荒れたままでした。当館を訪れ、改めて見知った方、機会があれば是非、渡良瀬遊水地の「谷中村史跡ゾーン」も訪れ、歴史博物館の表記を重ねていただければ~。歴博から車で約20分です。 ※ 小中(村)/田中正造翁の古里 ※ 延命院/史跡ゾーン内寺院。 毎9:30~16:30開門、月曜閉門。
ヤマ田太郎ヤマ田太郎
渡良瀬川の河川改修工事によって、本丸をはじめとする主要部は跡形もなく吹き飛んだ古河城にあって、数少ない城の面影を残す場所となっています。諏訪曲輪は本体から少し離れた場所に造られた「出曲輪」だったので、かろうじて部分的に残ったんですね。なんで城のこの位置に出曲輪が必要だったか、について少しご説明したいと思います。 かつての古河城は西を渡良瀬川、南・東を幅広の低湿地に囲まれ、攻め口は北側しかない天然の要害でした。さらに南北方向に1.8kmもある細長い城であり、その最奥にある主要部の攻略は困難を極めたのです。でも戦時には文句なしの、この素晴らしい立地も後の平時にはいろいろ問題が出て来たのですよ。 古河城は将軍の日光参拝における江戸から出て二日目の宿舎に指定され、城の二の丸を提供している格の高い重要な城でした。主な問題はここにありまして(笑)、入口が北側にしかないので、将軍御一行様には東側を通る日光街道から、まず北側にお回りいただいて、さらに1km以上先の南の宿舎までお越しいただく必要があったのです。将軍様はともかく、疲れている荷物持ちの共周りの人達はこの遠回りにかなりウンザリしたことでしょう。 どこからか苦情が出たのか(笑)、二代将軍秀忠の時代に東側の日光街道から直接城内に入れるようにショートカットが造られることになりました。そのために東側の低湿地を一部埋め立てて、土橋を三の丸下の桜曲輪に直接連結する「御成道」を造成したのです。 ここで皆様も気付かれたと思いますが、将軍様ウエルカムという事は「敵」が責める際にもウエルカムな訳で(笑)。ここを通れば外郭の防御線を経由することなく、いきなり城の中枢に到達する事が出来てしまいます。 それを考慮して低湿地の対岸側にある御成道入口は、城の主要部に準ずる重防御で固められていました。水堀で囲み、射撃の死角を無くすため屈曲を設けた高い土塁で要塞化したのです、それが諏訪曲輪でした。 それにしても古河城は、関東では将軍在住の江戸城を除けば最大規模の城郭だったのですが、維新後は土塁は削られ水堀は埋められ、石垣は撤去されて文字通り何も残っていません。本丸も現在は渡良瀬川堤防の下であり、その痕跡すら残っていないのです。 さすがの難攻不落の名城も近代土木工業力の前には歯が立たず無力で、ついに落城・武装解除されたって事なんですかね(笑)。
金堂ちゃくお金堂ちゃくお
古河城出城堀跡。 「古河城 諏訪曲輪跡」 「古河城出城諏訪郭」とも 子供時分は単に出城跡と言ってました。 現在は古河歴史博物館の1施設として親水公園風に整備されています。 綺麗にし過ぎたな(笑) すぐ近くの保育園(今は無き)と小学校に通っていたのですが、当時博物館施設は無く、水堀がそのまま残っており、土塁の護岸もされていなかったので、何か得体の知れないモノが棲んでいると怖かった記憶があります。 渡良瀬川の河川改修工事によって跡形も無くなった古河城本丸にあって、その東側に存在した出城(あとから増築された将軍様御一行の通用門みたいなモノ)の面影を残す貴重な遺構。江戸↔東照宮参詣の道中、古河城下は日光街道9番目の宿場町、城が残っていれば良い観光資源だったのに…残念だなぁ 歴史博物館と古河藩家老/鷹見泉石記念館が併設。 コロナ禍により利用制限あります。
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22年NHK大河「鎌倉殿の13人⌋のその後~。 舞台は鎌倉から古河の御所、戦国時代へと続く!! かつて下総の國に、江戸、水戸に次ぐ規模と威容を誇った古河城。同館はその出城、諏訪曲輪跡地にあります。室町後期に鎌倉殿(鎌倉公方/鎌倉府)と関東管領との勢力争いから享徳(きょうとく)の乱が勃発。 第五代鎌倉公方の足利成氏公は室町幕府と対立後、鎌倉府は旗印の元、古河に拠点を移し古河公方(古河府)と称す。それは京都の応仁の乱を誘引、戦国時代の幕開けに~!! 当館は古河公方の歴史史料を豊富に展示。江戸幕府初代大老の土井利勝(どいとしかつ)公の拡張による古河城。 古河城出城諏訪曲輪跡地にお堀と土塁に、周囲の景観に溶け込む、吉田桂二氏設計の「古河歴史博物館」。ちなみに古河城三階櫓(天守)は信州松本城や松江城の天守閣とほぼ同じ高さ(25m)。その大きさが想像できます。 古河城は徳川将軍家日光社参時、江戸から岩槻、古河、宇都宮城の宿城でした。国宝で知られた隣接の武家屋敷、「鷹見泉石記念館」。こちらもぜひ。 展示コーナーのひとつに日本初の公害の原点、「足尾銅山鉱毒事件・田中正造と谷中村」の展示資料があります。江戸時代、現渡良瀬遊水池に存在した谷中村は旧古河藩。現在は栃木県に属し谷中湖は谷中村を忘れじと!!日本初の公害「足尾銅山鉱毒事件⌋。 その鉱毒対策として県や國は村を強制破壊廃村!! それを新たな解決策を持って東奔西走したのが田中正造帝國議員。物事や歴史は、知らねば表面的な事しか感じず、その事柄を知れば新たな疑問質問が湧く~!! 田中正造翁の言葉。 「魂は常に小中の川原や林の中をかけめぐり⌋(小中は生誕地)。 渡良瀬遊水地。訪れる人々も少ない「谷中村史跡ゾーン」。現在も移転を拒否した村民僧侶の御遺体が魂となり祭祀継続。が、現在の埋葬法は「死体埋葬許可証」。 死体とは物体(国語辞典)、為に私達は魂にもなれません。適切な表現は「御遺体納骨許可証⌋かと思います。 ちなみに遺体とは故人への尊厳だそうです。 昔は博物館周辺も谷中村跡地も荒れたままでした。当館を訪れ、改めて見知った方、機会があれば是非、渡良瀬遊水地の「谷中村史跡ゾーン」も訪れ、歴史博物館の表記を重ねていただければ~。歴博から車で約20分です。 ※ 小中(村)/田中正造翁の古里 ※ 延命院/史跡ゾーン内寺院。 毎9:30~16:30開門、月曜閉門。
早川一彦

早川一彦

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渡良瀬川の河川改修工事によって、本丸をはじめとする主要部は跡形もなく吹き飛んだ古河城にあって、数少ない城の面影を残す場所となっています。諏訪曲輪は本体から少し離れた場所に造られた「出曲輪」だったので、かろうじて部分的に残ったんですね。なんで城のこの位置に出曲輪が必要だったか、について少しご説明したいと思います。 かつての古河城は西を渡良瀬川、南・東を幅広の低湿地に囲まれ、攻め口は北側しかない天然の要害でした。さらに南北方向に1.8kmもある細長い城であり、その最奥にある主要部の攻略は困難を極めたのです。でも戦時には文句なしの、この素晴らしい立地も後の平時にはいろいろ問題が出て来たのですよ。 古河城は将軍の日光参拝における江戸から出て二日目の宿舎に指定され、城の二の丸を提供している格の高い重要な城でした。主な問題はここにありまして(笑)、入口が北側にしかないので、将軍御一行様には東側を通る日光街道から、まず北側にお回りいただいて、さらに1km以上先の南の宿舎までお越しいただく必要があったのです。将軍様はともかく、疲れている荷物持ちの共周りの人達はこの遠回りにかなりウンザリしたことでしょう。 どこからか苦情が出たのか(笑)、二代将軍秀忠の時代に東側の日光街道から直接城内に入れるようにショートカットが造られることになりました。そのために東側の低湿地を一部埋め立てて、土橋を三の丸下の桜曲輪に直接連結する「御成道」を造成したのです。 ここで皆様も気付かれたと思いますが、将軍様ウエルカムという事は「敵」が責める際にもウエルカムな訳で(笑)。ここを通れば外郭の防御線を経由することなく、いきなり城の中枢に到達する事が出来てしまいます。 それを考慮して低湿地の対岸側にある御成道入口は、城の主要部に準ずる重防御で固められていました。水堀で囲み、射撃の死角を無くすため屈曲を設けた高い土塁で要塞化したのです、それが諏訪曲輪でした。 それにしても古河城は、関東では将軍在住の江戸城を除けば最大規模の城郭だったのですが、維新後は土塁は削られ水堀は埋められ、石垣は撤去されて文字通り何も残っていません。本丸も現在は渡良瀬川堤防の下であり、その痕跡すら残っていないのです。 さすがの難攻不落の名城も近代土木工業力の前には歯が立たず無力で、ついに落城・武装解除されたって事なんですかね(笑)。
ヤマ田太郎

ヤマ田太郎

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古河城出城堀跡。 「古河城 諏訪曲輪跡」 「古河城出城諏訪郭」とも 子供時分は単に出城跡と言ってました。 現在は古河歴史博物館の1施設として親水公園風に整備されています。 綺麗にし過ぎたな(笑) すぐ近くの保育園(今は無き)と小学校に通っていたのですが、当時博物館施設は無く、水堀がそのまま残っており、土塁の護岸もされていなかったので、何か得体の知れないモノが棲んでいると怖かった記憶があります。 渡良瀬川の河川改修工事によって跡形も無くなった古河城本丸にあって、その東側に存在した出城(あとから増築された将軍様御一行の通用門みたいなモノ)の面影を残す貴重な遺構。江戸↔東照宮参詣の道中、古河城下は日光街道9番目の宿場町、城が残っていれば良い観光資源だったのに…残念だなぁ 歴史博物館と古河藩家老/鷹見泉石記念館が併設。 コロナ禍により利用制限あります。
金堂ちゃくお

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4.2
(66)
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5.0
4y

22年NHK大河「鎌倉殿の13人⌋のその後~。 舞台は鎌倉から古河の御所、戦国時代へと続く!!

かつて下総の國に、江戸、水戸に次ぐ規模と威容を誇った古河城。同館はその出城、諏訪曲輪跡地にあります。室町後期に鎌倉殿(鎌倉公方/鎌倉府)と関東管領との勢力争いから享徳(きょうとく)の乱が勃発。 第五代鎌倉公方の足利成氏公は室町幕府と対立後、鎌倉府は旗印の元、古河に拠点を移し古河公方(古河府)と称す。それは京都の応仁の乱を誘引、戦国時代の幕開けに~!! 当館は古河公方の歴史史料を豊富に展示。江戸幕府初代大老の土井利勝(どいとしかつ)公の拡張による古河城。

古河城出城諏訪曲輪跡地にお堀と土塁に、周囲の景観に溶け込む、吉田桂二氏設計の「古河歴史博物館」。ちなみに古河城三階櫓(天守)は信州松本城や松江城の天守閣とほぼ同じ高さ(25m)。その大きさが想像できます。 古河城は徳川将軍家日光社参時、江戸から岩槻、古河、宇都宮城の宿城でした。国宝で知られた隣接の武家屋敷、「鷹見泉石記念館」。こちらもぜひ。

展示コーナーのひとつに日本初の公害の原点、「足尾銅山鉱毒事件・田中正造と谷中村」の展示資料があります。江戸時代、現渡良瀬遊水池に存在した谷中村は旧古河藩。現在は栃木県に属し谷中湖は谷中村を忘れじと!!日本初の公害「足尾銅山鉱毒事件⌋。 その鉱毒対策として県や國は村を強制破壊廃村!! それを新たな解決策を持って東奔西走したのが田中正造帝國議員。物事や歴史は、知らねば表面的な事しか感じず、その事柄を知れば新たな疑問質問が湧く~!! 田中正造翁の言葉。 「魂は常に小中の川原や林の中をかけめぐり⌋(小中は生誕地)。 渡良瀬遊水地。訪れる人々も少ない「谷中村史跡ゾーン」。現在も移転を拒否した村民僧侶の御遺体が魂となり祭祀継続。が、現在の埋葬法は「死体埋葬許可証」。 死体とは物体(国語辞典)、為に私達は魂にもなれません。適切な表現は「御遺体納骨許可証⌋かと思います。 ちなみに遺体とは故人への尊厳だそうです。

昔は博物館周辺も谷中村跡地も荒れたままでした。当館を訪れ、改めて見知った方、機会があれば是非、渡良瀬遊水地の「谷中村史跡ゾーン」も訪れ、歴史博物館の表記を重ねていただければ~。歴博から車で約20分です。

※ 小中(村)/田中正造翁の古里 ※...

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渡良瀬川の河川改修工事によって、本丸をはじめとする主要部は跡形もなく吹き飛んだ古河城にあって、数少ない城の面影を残す場所となっています。諏訪曲輪は本体から少し離れた場所に造られた「出曲輪」だったので、かろうじて部分的に残ったんですね。なんで城のこの位置に出曲輪が必要だったか、について少しご説明したいと思います。

かつての古河城は西を渡良瀬川、南・東を幅広の低湿地に囲まれ、攻め口は北側しかない天然の要害でした。さらに南北方向に1.8kmもある細長い城であり、その最奥にある主要部の攻略は困難を極めたのです。でも戦時には文句なしの、この素晴らしい立地も後の平時にはいろいろ問題が出て来たのですよ。

古河城は将軍の日光参拝における江戸から出て二日目の宿舎に指定され、城の二の丸を提供している格の高い重要な城でした。主な問題はここにありまして(笑)、入口が北側にしかないので、将軍御一行様には東側を通る日光街道から、まず北側にお回りいただいて、さらに1km以上先の南の宿舎までお越しいただく必要があったのです。将軍様はともかく、疲れている荷物持ちの共周りの人達はこの遠回りにかなりウンザリしたことでしょう。

どこからか苦情が出たのか(笑)、二代将軍秀忠の時代に東側の日光街道から直接城内に入れるようにショートカットが造られることになりました。そのために東側の低湿地を一部埋め立てて、土橋を三の丸下の桜曲輪に直接連結する「御成道」を造成したのです。

ここで皆様も気付かれたと思いますが、将軍様ウエルカムという事は「敵」が責める際にもウエルカムな訳で(笑)。ここを通れば外郭の防御線を経由することなく、いきなり城の中枢に到達する事が出来てしまいます。

それを考慮して低湿地の対岸側にある御成道入口は、城の主要部に準ずる重防御で固められていました。水堀で囲み、射撃の死角を無くすため屈曲を設けた高い土塁で要塞化したのです、それが諏訪曲輪でした。

それにしても古河城は、関東では将軍在住の江戸城を除けば最大規模の城郭だったのですが、維新後は土塁は削られ水堀は埋められ、石垣は撤去されて文字通り何も残っていません。本丸も現在は渡良瀬川堤防の下であり、その痕跡すら残っていないのです。 さすがの難攻不落の名城も近代土木工業力の前には歯が立たず無力で、ついに落城・武装解除されたっ...

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昔し古河城を探してここに到着した。 ここは、本丸でなく出城!規模は小さく、博物館もあるが小さいな公園? 想像していた城でない❗️ ベンチにいた、じいさん達に!(自分もじいさんだが) 城はどこにあるかと質問! 本城は川の中!遺構は何もなく!名前の付いた棒があるのみ! 悲しい❗️ 千葉から来たと告げ! この辺は昔し下総で千葉だっただよね言うと、そうだよ良く知っているね言われ! 千葉同士で意気投合! 年寄りは下総の感覚はあるんだと思った! そう、昔し千葉は大きかった❗️...

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