真田戦記 小松城 石川県小松市丸の内町 小松城は天正4年(1576年)に加賀一向一揆方の若林長門守によって築かれたといわれ、織田信長の武将柴田勝家により攻められ、村上氏、丹羽氏が城主となりました。江戸時代になると加賀藩領となるが、元和元年(1615年)に一国一城令で廃城となりました。 寛永16年(1639年)、2代藩主前田利常の隠居城という名目で再築、しかし大規模な水堀を廻らし、築島を配するという新城建設に似た大規模なものとなりました。完成した城域は金沢城の約二倍の規模を誇ります。利常の死後は加賀藩金沢城の支城となり、城番により統治され、明治維新を迎えました。 本丸には天守台が築かれ、天守の代用として御三階櫓が築かれました。広大な水堀に浮かぶ姿から浮き城の別名を持つ、難攻不落の実戦を想定した要塞でした。現在、城域はそれぞれ隣接する小松市役所、芦城公園、石川県立小松高等学校として開発され、遺構の保存状態は良くないですが、天守台及...
Read more摩滅・老朽化していた石段に、被せる様に、木製の階段と手すりが付きました。台上にも木製の柵が全周囲に設置され、もしや転落、の不安が一掃されました。 松高の大先輩が植えたであろう松の木たちは、根を残して全て伐採されました。それらの根が張りすぎて、台の石組が膨れ崩壊の危険性が懸念されていました。歩き回る足元の、砕石の下には石組保護のため防水シートが敷かれていました。天守台の周囲は、クマ対策か、今回の整備の一環か、綺麗に除草されています。 今日の天守台は降雨の後なので、防水・防寒仕様の履物が必要と思われました。脚に自信のない方は、健脚の方をお連れにして下さいませ。晴れの日にどうぞ...
Read more小松市指定史跡小松城跡 寛永16年(1639年)前田利常の隠居城という名目で大規模な水堀を廻らし、本丸には天守の代わりに御三階櫓を建て城域は金沢城の約二倍の規模で築城されました。新城を厳しく制限されていた時代には珍しい大きな城だったと言えます。 利常の死後は金沢城の支城となり明治維新を迎えました。 現在その城域は小松市役所、芦城公園、石川県立小松高等学校として整備され、遺構の保存状態は良くないが、天守台及び内堀の一部石垣が残っています。 #お城 #城 #城郭...
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