【 2021/06/26(土)訪問 】 新居関所(あらいせきしょ)は、江戸時代には今切関所(いまぎれせきしょ)といわれ、慶長5年(1600)徳川家康により設置されました。創設当初は浜名湖の今切口に近い場所にありましたが、元禄12年(1699)、宝永4年(1707)と度重なる災害により2度の移転を強いられ、宝永5年(1708)に現在地へ引っ越しました。
現存している建物:「面番所(めんばんしょ)」は嘉永7年(1854)の地震でそれまでの建物が倒壊した為、安政2年(1855)から安政5年(1858)にかけて再建されたもの。
明治2年(1869)に関所は廃止されましたが、明治〜昭和にかけて学校や町役場として使われ、江戸を守るために全国に設けられた53箇所の関所のうち、当時の建物が日本で唯一そのまま残る関所としての歴史的価値が高く評価され、大正10年(1921) 国の「史蹟(しせき)」に、昭和30年(1955)には改めて国から「特別史跡」に指定され、江戸時代の関所を体感できる文化財として保存され、公開されています。
関所改めを行った中心となる建物の「面番所(めんばんしょ)」の他に、関所で女性の改めを行った改女の家族が住んだ建物:「女改之長屋(おんなあらためのながや)」、明け六つ「午前6時」に開き、暮れ六つ「午後6時」に閉められた高麗門(こうらいもん):「大御門(おおごもん)」、関所役人の通用門として使われた「裏御門(うらごもん)」、幕府や領主が決めた法度(はっと)や掟書(おきてがき)などを木の板札に書き、人目をひくように高く掲げておく場所:「高札場(こうさつば)」、「渡船場(とせんば)」、「史料館(しりょうかん)」などがあり、今後は「船会所(ふなかいしょ)」と「土蔵(どぞう)」の復元整備が計画されているようです❗️✨
史料館は、1階は「街道と関所」「海の関所新居」をテーマに、新居関所の変遷と役割などを紹介していて、2階は「旅と宿場」をテーマに、旅や新居宿に関する資料の他、浮世絵版画を展示しています。
※残念ながら、展示室内は1階・2階全て📷🎥撮影禁止となっていました😅💦 個人的には、国宝や重要文化財以外の展示品は📷🎥撮影🆗にしていただけたらと思っています😅💦
「関所なぞ解きクイズラリー」という用紙がチケット売場に置かれてあって、5つの問題を全問正解すると… 播磨赤穂藩(はりまあこうはん)の第3代藩主 浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)の手形発行の申請に基づき発行されたという設定の「関所通行手形」がもらえます❗️✨😁👍
※浅野内匠頭は、江戸城・松之大廊下(まつのおおろうか)で高家(こうけ)の吉良上野介(きらこうずけのすけ)義央に斬りつけた刃傷(にんじょう)事件と、それに続く赤穂事件(あこうじけん:忠臣蔵(ちゅうしんぐら))で広く知られる人で、大石内蔵助(おおいしくらのすけ)など四十七士と共に東京の泉岳寺(せんがくじ)にお墓があります。
新居関所の開館時間は9:00〜16:30 、休館日は月曜日(祝日の場合は開館)と年末年始(12/26〜1/2)、アクセスはJR東海道本線「新居町駅」から旧東海道を西へ徒歩🚶♀️約8分で、「新居関所・紀伊国屋共通券(大人¥500))」の購入をオススメします❗️😁
長くなりましたが、ここまで読んでいただいた方、お疲れ様でした(>人<;)💦&ありがとうございましたm(_ _)m...
Read more浜名郡新居町(現湖西市)。 日本で唯一、現存する遠州(現静岡県)新居(荒井)の御関所。 昔は旧東海道に面して冠木門、正面に面番所のみ、素朴に古朽ていた~!!
関東で関所といえば「箱根の関所」が浮かびます。けれど箱根は復元された建物。江戸幕府は江戸防衛に全国53ケ所の関所を設置しました。
日本に現存する関所は現在の静岡県湖西市(私には新居町))。旧國名は遠近江国(とおとうみ)。浜名湖を琵琶湖に見立て遠い近江の國。略して遠江の國。遠い近江の国(近江の琵琶湖、遠近江は浜名湖)の地理的からの地名。 新居町の関所は、江戸時代の1600年(慶長5)に設置(関ヶ原の戦いの頃)。知名度は箱根の関所(1619年設置)に及びませんが、江戸時代の現存する建物がこの関所。正式な名称は「今切(いまぎれ)の関」。 今切とは1498年(明応7)の地震で浜名湖の堤が切れ、遠州灘と繋がり、塩水湖になった事象に因みます。(淡水湖ではありません)その為、東海道の荒井(旧字体)宿と舞阪宿とは舟での往来となり、鷲津宿側に大御門が江戸への道を阻んでいました。(隣接して「歴史資料館」)。
新幹線で唯一、富士山と重なる天竜川を越え、京都方面右手、白い橋が見える辺りが新居町。
新幹線浜松駅から東海道線に乗り換え約30分。是非、現存する建物の見聞を~!! 新居町も鰻の蒲焼きや白焼きのお店も多く、鰻の本来のお薦めは白焼き。 塩味のさっぱり感。しかも蒲焼きよりタレの工程無しの分、価格が安い!!。関東は蒲焼き、関西は白焼き。
「遠州新居の手筒花火」。 江戸時代から始まり、その勇壮、迫力から「東海道の奇祭」と~!! 各地の打上げ花火とはまるで違い、竹筒を抱え込み熱い火花を浴びながらの、目前の手筒花火は観客をも巻き込み豪快!!
宿泊は浜名湖の奥座敷、「舘山寺温泉」を是非お薦めします。 汽水湖特有の新鮮な海の幸と、無色透明な温泉を潮風の中に存分に味わう、魅力的な体感!!
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Read more新居関所資料より。 新居関所(今切関所)は慶長5年(1600)徳川家康により創設されました。幕府は江戸を守るため全国に53ヶ所の関所を設け、「入鉄砲と出女」に対し厳しく取り締まりをしました。特に新居関所は約100年間、幕府直轄として最高の警備体制が敷かれていました。鉄砲など武器の通行ではもちろんのこと、当関所に限っては江戸へ向かう女性(「入り女」)にも「手形」が必要で、不備が見つかれば通ることはできませんでした。 当関所は江戸時代中期に、自然災害で2度の移転を強いられました。現在に残る建物(「面番所」)は、嘉永7年(1854)の地震でそれまでの建物が倒壊したあと、安政5年(1858)までに再建されたものです。明治2年(1869)に関所は廃止されましたが、明治~昭和にかけて学校や町役場として使われ、当時の建物が日本で唯一そのまま残る関所としての歴史的価値が高く評価され、大正10年(1921)国の「史蹟」に、昭和30年(1955)には改めて国から「特別史跡」に指定されました。 現在、当市では新居関跡の復元整備事業を進めています。これまでに今切渡船場の石垣・護岸のほか、関所の入口となる枡形広場の土塁柵、高札場および大御門を復元しました。今後も船会所、女改め長屋、土蔵などの復元整備を計画しています。
併設の関所史料館では関所ゆかりの資料や街道・交通史関係資料などを常設展示するほか、企画展示を年6~7回、イベントも開催しています。
所在地 開館時間 9時00分〜16時30分 入 館...
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