朝代神社(あさしろじんじゃ)は京都府舞鶴市の南部。
京都府舞鶴市朝代の西舞鶴の愛宕山の東山麓に鎮座する神社。
ご祭神 伊弉諾尊(いざなぎのみこと) 672年9月、淡路島の伊弉諾神宮より勧請して創建されたと伝わる。
旧社格は府社 江戸時代からは田辺藩町民の産土神として奉られてきた。
広い境内は、地元住民の方々から大切にされているようで、綺麗に整理されており、社号標石、鳥居、灯篭、狛犬、案内板、手水舎、拝殿、本殿、神馬像、境内社などがあります。
「府社 朝代神社」と刻まれ社号標石が参道入口に建てられています。
一ノ鳥居は神明鳥居。また、ニノ鳥居は両部鳥居でそれぞれに「朝代神社」と記された木製の扁額がかかっています。
境内社は、塩釜神社、秋葉神社、奥姫稲荷神社、天満神社、恵比須神社、大国神社、祇園神社、多賀神社、梅宮神社、工匠神社など。
「案内板」 朝代神社 朝代神社は江戸時代から田辺藩町方の産土神で、今も氏子は旧舞鶴町全域に及びます。享保17(1732)年の大火で、記録を消失しましたが、「丹後田辺府志」には「朝代大明神は日の若宮なり、日本紀に伊弉諾尊と称し奉る」とあります。社伝によると天武天皇元年(672年)淡路島より御分霊を奉還したと伝えられていますが、昭和3(1928)年に府社となっています。 社殿は元文4(1739)年に再建されたのが現在の社殿(市指定文化財)で、市内の神社建築では最も古い部類に属し、独特のものをもっています。 秋祭には、吉原から太刀振り(府指定無形文化財)や、平野屋の太神楽が奉納されるほか、各町から芸屋台、太鼓やぐらが出るのを例としました。江戸末期の「祭礼絵巻」に当時の賑わいがしのばれます。 設置 城下町倶楽部
「社記」 御鎮座地 舞鶴市朝代十三 神社名 朝代神社 御祭神 朝代大神(伊弉諾尊) 御神徳 御祭神は日本民族の祖先神であり初めて夫婦神として結婚の道を開かれて人間生活に不可欠なあらゆる物をお産みにかりました。また禊ぎ祓えにより罪穢を祓い、清新と発展への方向を示された貴い神様であります。 御由緒 当神社の御創建は約千三百年前の天武天皇白鳳元年九月、淡路国日ノ少宮をお遷したのに始まります。 近世に入り城下町田辺(舞鶴)の氏神様として歴代藩主の崇敬篤く、神輿・鳥居などの奉納が続き、士民を挙げての秋の祭礼は大いに賑わいました。また、昭和三年には府社に昇格。「朝の参りは朝代さまよ」や「日毎夜毎の朝代参り」などと民謡にも唄われ、広く崇敬されております。 江戸期の大火に類焼し、元文四年に再建の御本殿(付再建文書)が平成五年に舞鶴市の文化財に指定されております。 境内社 塩釜神社 祇園神社 稲荷神社 工匠神社 天満宮 恵比須神社 など 例祭日 お日待祭 二月二十二日 春季例大祭 五月 三日 水無月大祓 六月 三十日 秋季例大祭 十一月 三日 他
以下、郷土資料抜粋 一、由緒 天武天皇白鳳(但し私年号)元年九月三日(卯ノ日)淡路国日之宮少宮伊弉諾大神を常国田造郷へ請遷したものである。其後の年代は詳でないけれども現地に遷し奉った。東の大華表を潜って南に西に石燈を迂曲して北の方の社殿の前に出る。之は陰陽流行の理を象ったものであると云ふことである。 一、境内神社 天満神社(祭神菅原道真公) 稲荷神社(祭神保食神) 松尾神社(祭神大山咋神) 祇園神社(祭神素戔嗚尊) 疫神神社(祭神少名彦神 煩宇須神) 多賀神社(祭神伊弉諾尊) 大国神社(祭神大国主神 龍蛇神) 工匠神社(手置帆負命 彦狹知命)
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Read more西舞鶴駅の西側へ降りて、R27を横断したら、斜めにアーケード街(と言っても、うら寂しい商店街)へ通じる道がありますから、これを右折、まもなく朝代通りに交わりますので、左折、そのまま山肌へ向かってまっすぐ進むと、円隆寺さんに突き当たりますから(このお寺の境内を通ってもいいんですが、)右へ曲がると左手に朝代さまの境内が見えてきます。この神社、本殿までの道が複雑で、境内入って左に参集殿になってる朝代会館(RC2階建ゴースト)を見つつ、鳥居を潜ったら階段登る。も一つ鳥居があるので、潜ったら突き当たるから崖下を左へ登ります。踊り場の高さのところで、お隣の円隆寺の境内と接続しています。神社社殿は、この踊り場を右へ右へさらに折り返した先に現れます。つまり、社殿は南に向いてます。(隣のお寺の本堂は東向き。) お寺も神社も揃って誰もいない平日の昼下がり、神社の授与所はりっぱな会館入ってすぐ右に、お守り(大したもの無し)もお札も置いてあって値段の一覧まで書いてあるんですが、呼べど叫べど誰も出て来ず。まぁ、そんな感じのところです。わるい雰囲気ではないんですが、町全体の活気からして、なん...
Read more朝代神社(城下町田辺(舞鶴)の氏神様)
とても綺麗にされている神社でした。
御祭神:...
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