This historic approach to the shrine, about 500 meters long, was laid out in the Edo period and is a reminder of the port town that flourished as a port of call for the trading ships of Kitamae-bune. The path, paved with natural stone, glistens blue in the rain, and the surrounding area is dotted with old townscapes and cultural relics. It is a tourist destination full of history and culture, with monuments to literary figures and other...
Read more松江市美保関町にある趣きある通りです。美保神社から仏谷寺へ向かう約150m程の道です。美保関町は北前船西回り航路の重要な寄港地として栄えていました。最盛期にはこの小さな町に50軒もの廻船問屋があり、商人や北前船の乗組員達が泊まる旅籠、果ては遊郭迄もが所狭しと建ち並んでいました。その北前船への物資の積み降ろしの効率化の為に文化年間から弘化年間(1804~1847年)の江戸時代後期に石畳が敷設されました。石は当地で採れる海石を切り出しています。雨が降ると石畳が青く見える事から「青石畳通り」と名付けられました。通りには重要文化財の旅館である「美保館」を初めとして、風情ある建物が並んでいます。訪問時は小雨混じりの曇天で絶好の撮影日和だったのですが、露出がややオーバー気味だった(ISO400 F4.5...
Read more平成18年『未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選』に認定。
美保関は美保神社の門前町として繁盛した町でした。美保神社から仏谷寺に至る石畳の通りは江戸時代の参拝道の遺構です。 美保神社の鳥居をくぐり右に曲がると石畳の通りに入り、150mほど行って左に曲がり100m行くと仏谷寺に着きます。神社前の通りには越前石が使われ、本通りには周辺の海岸から運ばれてきた凝灰岩が敷かれています。形は正方形に近い物から長方形など様々で、中には80㎝四方の大型の敷石もあります。
敷設されたのは文化年間から弘化年間(1804~1847年)の江戸時代後期です。この地は江戸時代中期以降北前船の西回り航路の寄港地として栄え、50件ほどの回船問屋が集まっていたといいます。その物資の積み降ろし作業の効率化のための舗装として、当地の海石を切り出して敷設したもの。その当時の面影を残す古い町並みと石畳の道が落ち着いた雰囲気をかもし出しています。 この青石畳み通りが以前の本通りであり、かつては参拝客相手の旅館や土産物屋で賑わいました。...
Read more