奈良時代(AD710–AD794)から平安時代(AD794–AD1185)に、令制国の国司が政務を執る施設(国庁)が置かれた都市です。 国府は、区画と正殿・脇殿等で構成される国庁(政庁)の存在が他の施設にはない特徴でした。国庁が国府の中心施設でした。したがって、国庁を発見した時点で国府位置確定とみなされています。 出雲国庁跡は『出雲国風土記』に記述があり、意宇平野内に所在していたことは古くから知られていました。しかし、具体的な場所が分からず、推定地がいくつか上がっていました。その後、江戸時代に書かれた大草村検地帳に字名「こくてう」が発見され、現在の字竹ノ後(館の後の意味)辺りと考えられるようになりました。 1968年(昭和43年)から発掘調査が始まりました。発掘の結果、国庁跡が松江市大草町の六所神社周辺であることが判明しました。国庁は、一辺167mの区画を大溝で区切り、その南半分に南北96m、東西72mの政庁区画を取り、その中に正殿・脇殿などを配置し、北半分も溝によって仕切られ官衙建物が並んで...
Read more六所神社の隣に案内看板があり、六所神社も含めこのあたり一面が元国庁なんだと思います。復元などはされてはおらず、政庁があった建物礎石と推定される道路や水路などが見て取れます。だが残念なことに手入れがあまりされておらず、雑草が生い茂っており折角の建物礎石やその説明資料も雑草に覆われて見れないところも多くあり残念です。 ぜひ整備とネット3Dなどで...
Read more出雲国庁の場所が特定されたのは昭和37年(1962)。江戸時代の大草村(現在の松江市)検地帳に「こくてう」の字名が発見されたのがきっかけだった。それまで「出雲国風土記」の記述から意宇平野のどこかであることは分かっていたが、この発見から発掘が行われ場所が確定した。 考古学者・坪井清足氏の揮毫による「こくてう...
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